第3章 偶然の出逢い

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「あの、・・前に中央線で靴を拾っていただいてありがとうございました。・・白いハイヒールが脱げちゃった時に・・」  真実子が硬い会釈を返すと、サカキは目尻を下げて可笑しそうに彼女を眺め、煙草を左手に持ち替えて、外人みたいに右手を差し出した。 「サカキ・ジョージです。改めて、はじめまして」 「坂井真実子です」  差し出された手に自分の手を軽く重ねると、サカキは強く握り返してくれた。男の手はソフトな顔に似合わず、厚くてがっしりとしていた。  街燈の淡い照明を受けて彼の瞳は茶褐色に見える。 「あのう、もしかして日系人の方か何かですか?」  真実子が尋ねると、サカキが笑った。  目尻に数本の細い皺が刻まれ、それが彼を更に魅力的にみせる。歳は三十代半ばぐらいだろうか。 「れっきとした日本人ですよ。サカキは一文字の榊、ジョージは丈夫の丈という字に次男だから二」  榊はポケットの名刺入れから名刺を取り出し、真実子に手渡しながら説明してくれた。 「親がこういう名前をつけてくれたおかげで、外人にも覚えてもらいやすいから、仕事でけっこう役立っています」  名刺には、ABC証券会社 証券化商品部 ディレクター 榊丈二、と印刷されており、裏を見たら英語版では丈二がGeorgeとなっていた。 「ABCはアメリカの銀行でしたよね。証券化商品部って、どんなお仕事なんですか?」 「平たく言えば、商業用不動産や各種のローン債権、不良債権なんかを証券化して売るわけです。 まあ良く言えば資産の流動化、悪く言えば、安く買って高く売る商売、というところかな。アメリカの金融危機を引き起こして、それ以来こっぴどく叩かれている分野です」  榊は説明しながら可笑しそうに笑った。  バカなやつだと思われない質問をしたいのだが、緊張のあまり何も思いつかない。  証券化商品、資産の証券化、債券、いや、債権の証券化・・。一応経理部の人間だというのに、頭が混乱している。  真実子は煙草を持っている榊の左手の薬指に指輪がないことに気づき、内心安堵した。  榊という男は、まるで前からの知り合いみたいな気さくな調子で訊いてきた。 「君は、いつもこんな時間まで仕事をしているの?」 「いえ、今日はたまたま残業で遅くなっただけです」    
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