鎖に繋がれたのは、果たしてどちらか。

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私が誘拐され監禁されてから多分、半年は経った。ここに連れ去られてからは携帯も没収されたしカレンダーなんて気の利いたものもここにはない。洗脳の基本は相手から情報を奪い、自分の思った通りに塗り替えることだからな、多分。私の場合大人しくしていれば過度な暴力は与えられないし、拘束されてはいるものの人間としての最低限の尊厳は今のところ約束されているから、ラッキーな方なのだろう。 それでも縛られ続けた手首の皮膚は硬くなりもう普通の女の子のような綺麗さはない。あれ、そもそも私に普通らしさってあったっけか。そんな自虐めいたことを考えられるってことはまだ余裕があるってことかなって考える。 私が誘拐され監禁されることになったのは双子の姉が原因だった。私の姉は少し変わっていたのだが宮村くんの心に惹かれる何かがあったのだろう。そんな彼女も死んでしまったのだけど。姉には夢遊病があった。夜、家族が寝静まると決まって外に出ていた。私達に無頓着な両親はそのことに気付いていたのか気付いていなかったのか今でも分からないが、同じ部屋だった私は幼い頃から知っていた。 あの日の夜も姉は外に出ていた。私は止めなかった。姉とは双子だからといって特別仲が良かった訳じゃない。むしろ悪かったとさえ思う。それは多分人間関係の希薄さを両親から受け継いだ結果だったのだろう。私達は互いに干渉することを避けていた。それは両親にも適応されることでおかげで私達家族は家族のくせして何も知らないことが多い。私の誘拐も気が付いているかどうかも怪しかった。家出だと思われているかもしれない。 なんせ私の姉は人を殺して自殺したのだから。 私が姉の背中を見届けた次の日の朝、布団のなかには姉はいなかった。いつもなら真夜中に出て朝方前には帰って寝ているのにその日は藻抜けの殻で、シワひとつついていない布団が横に敷かれているだけだった。不思議には思った。いくら無関心な私とて、普段いる筈の人間がいないことに不信感くらいは覚える。断じて心配していた訳ではないけど、とりあえず電話はした。奴は携帯を学生鞄のなかに入れたままで携帯していなかった。携帯の意味ないじゃんと突っ込んだのを今でも鮮明に覚えている。そして、そのあと部屋に訪れた母親が珍しく青ざめた顔をしていたのも、覚えている。
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