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「さっき医局のテレビで昼のニュースを見たけど、楓が一人で階段を下りて行くところを同じ階の住人が見ていたそうよ。出掛けるにはいつもより軽装で、バッグも何も持たずにふらりと部屋から出てきたその表情に、どこか違和感があったらしいわ」
「……そう。隣人から見ても、普段とは違う様子だったんだ……」
「この世に未練を残して自殺。妊娠の虚言と何か関係があるのかしら。それとも、宮坂遼一に関する秘密に関係があるのか……」
―――遼に関する秘密。
もしそれに関係があるのなら、楓の口封じを目論むのなら、遼が苦戦してまで彼女を助けた理由が分からない。
あの状態から楓を救えたのは、心臓外科医の中でも並外れて優れた技術を持つ遼と、消化器外科の期待のエース、直江先生がタッグを組んだおかげだと言っても過言ではない。
あの二人が居なければ彼女の命は助からなかった。
オペ室のモニターを見つめていた時の私は、彼女への憎しみなど忘れ、ただ手術の成功を祈っていた。
願い通り手術は成功し一命は取り留めた。しかし、こうして今の彼女を見ていると、本当に命を繋いで良かったのかと複雑な気持ちになる。
きっとそれは、失った身体機能に対する憐みから生まれるものだけでは無い。
オペ室に入った時からアラーム音と共に聞こえる、彼女の悲痛な叫び。
――――彼女を自殺に追い込んだ原因はなに?
遼が彼女を救った事実は、私達の大胆不敵な憶測をいとも簡単に破り捨て、否応無く全てが闇に葬り去られてしまった。
紛失したパズルのピースの代わりに、よく似たピースを嵌め込んで目を瞑るような、そんな納得し切れない違和感が尾を引いて離れない。
「何を思って飛び下りたのかしら……」
表情を失った彼女を見て、麗香がため息混じりに言葉を落とす。
「分からない。だけど……麗香、私たちは何か大切な事を見落としてる気がする」
「大切な事?……それって、あんたの旦那が―――」―――麗香の声と重なって聞こえたのは、再び扉がスライドされていく音。
喉まで上がった声を飲み込んだ麗香と、大きく目を見開く私は同時に廊下に続く扉に視線を伸ばす。
「……あら、救世主様の御出ましね」
「お前達……居たのか」
麗香の皮肉じみた言葉を遮って、扉に手を掛けたままの遼が目を細めた。
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