第二話~所在無き心が揺らぎをもたらす~

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「うん、いっしょにやろ」  アシエスの言葉に安堵し、コートを返す。防具にはならずとも耐久性はある服に針を通すのは少々手間がかかる。慣れた者でなければ縫い針の操作を誤って怪我をすることもある。今のアシエスの技術と腕力ではそれを避けることは難しかった。  一言断ってアシエスを抱え上げ、ベッドに腰を下ろした自身の膝に乗せる。後頭部に接する胸部で遊ぶアシエスを宥め、その小さな手を上から包むようにしてアシエスに黒い糸と針を持たせるとゆっくりと手を動かす。  一生懸命に手元を見つめるアシエスの顔を見つめて微笑み、アシエスに手の動かし方を覚えさせるために優しく、そして丁寧に扱う布の強度や細かさに応じて変わる手法を教えながら懐古する。五十年よりももっと先へ遡る故郷で、母親にこうして裁縫を教わっていた時のことだ。  母親の温かさに抱かれながら、母親の硬い、しかし安心する手に包まれながら、布と布を縫い合わせ、拙いながら長い日数をかけて作り上げた一着の服。厳しく叱られることも多かったが、それでも大好きだった母親。そんな人に愛されながら縫い上げられた服は随分とちぐはぐで、縫い目が荒く糸が目立ち、あまり人様に見せられるようなものではなかった。母親がいつも縫うようにはいかず、完成した時には悔しくて泣きじゃくった。  今にして思えば、母親は自分よりもずっと長い間続けていたからこその手際なのだから同じように出来なくても当たり前だった。しかし幼いイオンは不満でしかなく、苛立たしくそれを破こうとした。 (それを……そう、お父様が取り上げたのでした)  娘が作った初めての服を取り上げ、返せと駄々をこねる娘に尋ねた。これは誰の服なのかと。幼き日のイオンが母親の助けを借りて初めて作ったのは父親の服だった。大きさから自分のためだと判断したに違いない父親は母親と笑顔を交わし、泣きじゃくる娘は小さく父親のためだと答えた。父親は大げさなまでに喜び、目の前でそれを着て見せた。当然縫い目がひどいそれはついさっきまで来ていた母親の手製の服に比べて酷いものだったが、それでも父親はイオンを抱きしめて喜んだ。ありがとうと。大事な宝物だと。  作りの酷いそれに、イオンはそれでも不満でしかなかったが、それからもずっと父親がその服を着てくれたことが嬉しかったことは覚えている。
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