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「……陽一郎」
肩口に顔を埋めたままの俺を、知佐が呼んだ。
「キスして」
顔を上げ、探るような知佐の視線を受け止める。
唇を重ねても、感情を押し殺したキスは何の味もしなかった。
それでも先に進めたはずなのに、本音が口をついて出た。
「ごめん。…今日はできない」
「どうして…?」
この時、どうして俺は決定的な事実を口にしてしまったのだろう?
今まで通り、嘘をつき通せばよかったのに。
「…他の女と寝た」
知佐が震える声で核心を突いた。
「会社の人?」
頷いた次の瞬間、左頬で鋭い音が鳴った。
なぜ寝たという事実より会社の女という言葉に知佐が怒ったのか。
後腐れのある会社の女とは関わらないと避けていたのに、今回はなぜタブーを破ったのか。
女の勘は鋭い。
俺が認めたくないその理由を、知佐は何となく感じたのかもしれない。
帰る道すがら、自分にほとほと嫌気がさした。
今すぐ戻って知佐に許しを乞うべきと分かっているのに、それでもハンドルを切ることができなかった。
そんなことをして何になる?
俺自身が元に戻れないでいるのに。
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