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松本さんに続いて蘭之助さんも言った。
「馬川の黒い話なら俺も聞いたことあるぜ。なんでも同じ趣味を持った豚どもとつるんでろくでもねェ宴をやってるそうだ。実は俺も何年か前に誘われたことがあってねェ。」
「い、行ったんですか?」
恐る恐る尋ねると、蘭之助さんはべーっと舌を出した。
「行くわけねェだろ。あんな気色の悪い男はお断りサ。それにあいつは俺にの贔屓ってわけじゃねェ。もっと若い、名前のついた役を貰えねェような奴らに金配ってぜ。何人かはその宴に参加したらしいが。」
「その人たちって……。」
「サァなァ。違う芝居小屋の奴らだったし、そんな端役のぱっとしねェガキのことなんざァ、細々覚えてねェからよ。」
馬川に関する嫌な話が続々と出てくるので、僕は不安になって姉様の手を握った。
竹子姉様の小さな手は震えていて、僕が手を重ねると、その震えが一層大きくなった。
「はなちゃん、わたくしそんな男のところに嫁ぎたくない……。」
「竹子姉様……。」
僕だって、そんな男の元に竹子姉様をお嫁にやるのは嫌だ。
それにしても、おかしい。
竹子姉様の許嫁って、うちの遠縁の山路伯爵家の次男の輝頌(てるつぐ)さんだった。
いつの間に相手が変わったんだ?
輝頌さんのことは父様も母様も気に入っていたし、輝頌さんもとても優秀で真面目な人だ。
破談の理由が輝頌さんにあるとは思えない。
「竹子姉様、この結婚はいつ決まったのです?この前伺った時にはすでに結婚の話が固まっていたと聞いた覚えがあるのですが。」
「ええ、そうなの。わたくしはてっきり輝頌様との縁談だと思っていたのよ。ところがよくよく聞いてみたら、輝頌様との婚約は破談で、馬川と結婚することになっていて……。」
「父様と母様が…………?」
「おそらく……。お二人にとって最も大事なのは長男の清陽(きよはる)お兄様よ。そして次が季陽(ときはる)お兄様。女に生まれた私やお姉様は、二人のお兄様に比べれば重要ではない。まずははなちゃん、次はわたくし。順番が回ってきたということね。」
女に生まれたということは、家の道具にならざるを得ない。
それは一種の宿命だ。
ましてや、うちは華族。
家を存続させるためには、余分な枝を落とし、幹に栄養を蓄えなければならないということなのだろう。
しかしそれでも、竹子姉様がこれから直面するであろう苦難を想像するとぞっとした。
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