第1章 #6

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 今、貴方の御蔭で大勢の人々が初めて曖昧な眠りから目覚めたかの様に、自身の実在を実感している。真の意味で生きている、と言う昂揚を生々しく体感し、社会へも自分自身へも目を逸らさずに真摯な闘争を始めている。そんな貴方の恋人で在ると言う事は、私に取って至上の喜びで有り最大の名誉……。誇りさえすれ、貴方に嫌悪を抱く事等微塵も在りはしない……! そう、只の一片も……」  その刹那、無線からシドの半ば興奮した呼び掛けが雑音交じりに反響した。 「―エスよ、応答せよ。生きているか! 大勢の人間の許へあんたの声明は届いた様だぜっ!! なあ、そこの屋上から街の光景が見えるかい?」  僕は涙で朧気に霞む視界を必死で拭い付け、誤魔化す様に笑い声を挙げる。そして独り言を呟く様に、やっとの事で微かな返事をひり付く咽喉の底から絞り出した。 「ああ、見えているさ、仮面を隔てずに、この景色が……」  容赦無く強風は吹き上がり続け、僕達の衣服を棚引かせる。僕がそうして感慨に耽っている中、彼女は何の前置きも無くヘッドギアへと手を掛け始めた。確かに今なら何者の規制も受けないが、一切の躊躇や逡巡の無いその大胆な手際から、逆に相対している僕の方が若干の戸惑いすら与えられてしまう。  彼女は思い切り良くヘッドギアを取り外すと、何の未練も執着も無い様に背後へと盛大に投げ捨てた。僕は息を呑んで目を瞠る。  素顔だ……。今迄2年間交際して来て、初めて間近で認識する恋人の顔。それは丸で、初対面の人間に出会う様な新鮮な違和感と感銘を僕に喚起させた。僕は自然と彼女へと手を伸ばし、強風で靡く彼女の髪を優しく、梳く様に撫で付ける。 「初めてお互いの顔を見るのね……。私の顔は、どう?」 「美人さ、飛びきりの美人に決まっているだろ」  反射的に突き出された台詞。誰とも比較した事も無く、出来る筈も無い。しかし陳腐なお世辞の類でも無かった。  比較する必要自体が無い、そう、君は少なくとも僕に取っては一番の―。  都市下全体から照射され続ける人工的なネオンライトの夜景、天空に座する満月が柔らかく放つ月光とが入り混じり、一際と映える様に彼女の素顔を照らし出す。  そして相前後する様に狼煙が挙げられたかの様な炸裂音がしたかと思うと、ほぼ同時に軽快で賑々しい音楽が鳴り響き始めた。街下の各所から、それを見上げた市民達の叫声や拍手が挙がりさざめきを立てる。
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