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「そうだ」
「そうだって……、私を愛人として側に置いて、妻の座を手に入れるまで雪菜さんの死を待てと言うの?」
「愛人と言う言葉は否定したいが……、法律上ではそうなるな。雪菜の死を待つか待たないかは、本人の心情の話だ。俺が言う事じゃ無い」
「なっ!?本人の心情の話って……その言い方は酷くなっ」
「愛人でも恋人でも呼び名なんてどうでもいい。ただ俺と一緒にこれからの人生を歩んで欲しい。……咲菜の母親になってくれ。金銭面でも不自由はさせない。
自分勝手なとんでもない事を言ってるのは自覚している。エゴをエゴで塗り直してる事も自覚している」
上気する私の言葉を遮った彼の声。
私は喉まで上がった言葉を飲み込んで、私の声を組み敷いた彼の淡々とした言葉を聞きながら、目を白黒させる。
「それでも、俺には麻弥が必要なんだ。おまえの居ない日常なんて、息をしていても死んでいるのと同じ。
麻弥、心から愛してる。もう二度とおまえを離したくない。他の誰にも触らせたくない。ずっと…生涯、俺の側に居て欲しい」
彼は低い声で言って、私を深く見つめる。
雪菜さんを最期まで看取って、その側には私を置いて、
その上、事もあろうに愛人に妻の最期を一緒に看取れと言う。
生涯、俺の側に居て欲しい?――まるでプロポーズの言葉ね。
奥さんがいる身で言えたセリフ?倫理観の欠片も無い。
笑っちゃう程、相変わらずなんて身勝手で傲慢な男なの?
けれども心で唱える悪態とは裏腹に、胸の鼓動は高鳴るばかりで……
―――そして、笑っちゃう程あなたらしい。
込み上げてくる情熱で胸が苦しくて、定まらない複雑な感情は逆に嬉し涙を誘う。
「……私、今夜は先生にお願いがあって来たんです」
熱くなっていく瞼に力を入れて、彼を見つめる。
「お願い?」
自分の申し出に対する答えを待っていたのであろう。彼は思わぬ方向から矢が飛んで来たかの様な顔をして、眉を引き上げた。
「ごめんなさい。私は、世間一般で言う『愛人』にはなりたくありません。雪菜さんの余命が見えているのなら、尚更に」
「……尚更に?」
「だから、初めからやり直しましょう。
もう一度、あの言葉を言ってください。私とあなたの関係のはじまりとなった、あの言葉を」
私は眉を寄せる彼を見て、灼けるような感情を抑え込んで口もとに微笑みを貼り付けた。
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