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「ごめん、実は春兄に頼まれてた実習用のエプロン失くしちゃって……」
……は? 何やそれ。あれ、俺のやなかったんかい。
確かに自分のやって言われた訳やないけど、でもそれやったらあない照れたり隠したりする必要なかったやん。
真っ赤になってエプロンを取り返そうとしていたさやか先輩を思い出す。それと同時に、ふと二週間前の出来事が頭に浮かんだ。
さやか先輩と初めて会った日。
『クッキー楽しみにしてるな』
そう言って笑っていた三井先輩と、
『人にあげるから、味見してほしい』
照れながら言ってきたさやか先輩の顔。
なるほどな。そういうことかい。……さやか先輩は、三井先輩が好きなんか。
視線を落としてさやか先輩のタオルハンカチを見つめる。満面の笑みを浮かべるゆるキャラと目が合った。
なんやねん。俺、めっちゃ滑稽やん。
聞こえるさやか先輩の声は既に明るく、笑い声が耳に突き刺さる。俺はハンカチをポケットに突っ込むと、踵を返して足早に家庭科室へと戻った。
さやか先輩は俺とたいして間を空けず、すぐに戻ってきた。
いつもの調子で何事もなかったかのように話しかけてくる先輩に、無性に苛々していつもよりずっと冷たく当たった。さっきは泣いているところを想像してなんとも言えない気持ちになったが、今はむしろ泣けばいいと思っていた。
だけど相変わらずさやか先輩はへらへらしていて、俺はもうどうでもよくなってきて柚のワンピースを鞄に突っ込んだ。
「これ、実は内海くんに三角巾作ろうと思って、取っておいた布だったんだよね……」
そのとき、ぽつりと呟く声がして、俺はゆっくりと視線を上げた。
……意味分からん。今さら何なんや。
苛々はどんどん降り積もる。
それなのに、気付いたら「まあ、気が向いたら使ってあげてもええですけど」なんて答えていた。それから無遠慮に俺の顔を覗き込んできた先輩にデコピンかまして、エプロンとは違う布にしろとかなんとか、自分でもよく分からないことを口走って逃げるように教室を出た。
そこまで一気に回想していると、いつの間にか自宅のアパートに着いていた。
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