第2章:ただ春の昼の夢のごとし

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 危機を好機と捉えられる人間は成功者になり得ようが、危機を危機と冷静に受け止められる者もまた同種の可能性を秘めているのではなかろうか。両者は、心中が揺らいでいないという点で通底している。なぜならば、たいていの場合、危機を危機と見ることすらできず、ひたすら狼狽して心の平安を失ってしまうものであるからだ。ある男も現在進行形で、そんな混沌の淵に立っていた。  制服というのは実によくできたシステムである。とりわけ教育現場においては。着こなしを徹底させることで規範意識が生まれ、また自らの所属を明確に示すため、集団への帰属意識が高まる。  母校愛という言葉が、大学生よりも高校生や中学生の口から生まれやすいのは、そういった事情があるためかもしれないと無意味に推察してみる。  さらに言うと、服選びに悩む必要がないという点でも優れている。現にこの男も、そういった利便性に中学入学の折から甘んじてきたのである。しかしながら、世の中に完璧など存在しない。常住坐臥、この優れたシステムにかまけて研鑽を失念していた彼は、ある日必要に迫られた時にはたと思い至ったのだ。  その男は非情な現実を前にしても決して目をそらさぬ紳士であった。ひたすら堂々と不動を貫き、明鏡止水を体現してきたと自負さえしている。  そんな男ですら、逼迫した現今の己の姿に憐憫の情を寄せるのは、そして独り右往左往して世間に見せられぬ痴態を演じるのは、致しかたないことではあるまいか。
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