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考え込むような表情のまま顔を固める彼は、ハンドルを切り返して深津さんの車の前に駐車した。
「……先生?」
私は黙りこくる彼の横顔を見つめ、不安げに声を漏らす。
「偶然に深津さんの友達がいて……か。麻弥としてはそう願いたいもんだな。
だけど、香川さんの家に行けば全てが分かる。おまえが辛いなら、ここで待ってていいぞ」
暗闇に響くエンジン音を止めた彼は視線を私に移し、私を気遣う静かな口調で言った。
知った所で悲しみと憎しみしか生まない真実ならば、このまま蓋をして目を背けてしまいたい。
けれど、先生が香川さんとのけじめを自分でつけると言うように、深津さんとの関係にけじめをつけるのは私の責任だ。
深津さんの好意に甘え、彼を巻き込んだ私自身の責任―――
「大丈夫。私も一緒に行く。……私が行かなきゃ」
真剣な目を向ける彼を見つめ返し、腹を据えた私は大きく頷いた。
頭に入り込んで来るのは、日が沈んでも鳴き続ける耳障りな蝉の声。
体に纏わりつくジメジメとした夜風に吹かれながら、私は彼に手を引かれ、香川さんの部屋に向かって歩いて行く。
バクバクと叩き打つ心臓の音までも煩い。
二人並んで彼女の部屋の扉の前に立つと、息を飲んで薄っすらと滲む額の汗を手の甲で拭った。
彼は緊張感で頬を強張らせる私に視線を向けると、合図を送るように繋いだ手を一度ギュッと握って、その手をゆっくりと離した。
私から離れた彼の長い指は、躊躇いも無くインターフォンを押す。
「……」
数十秒待てども不吉な空気が漂って見える扉は微動だにせず、相変わらず聞こえるのは虫の声と車の音ばかり。
「いないのかな……それとも、」――居留守?と、私が言いかけたその時。
『……はい』
インターフォンの小さな穴から彼女の声が聞こえた。
「こんばんは、高瀬です。君と話がしたい。時間は取らせない。ちょっとだけいいかな?」
インターフォンに顔を向ける彼は落ち着いた声色でそう言って、無意識に震えてしまう私の手に大きな手のひらをそっと添える。
『……私に話?突然押しかけて来るなんて、虫の知らせでもあった?……良いわよ。今、開けるから』
彼女は招かれざる客に対して冷たく言って、プツリと声を途切れさせた。
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