傷口

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別にこんな仕事をしたかったわけじゃない。 スナックなんかよりキャバで働きたかったようにも思う。 だって、なんかこのマスターの介護までつきあわされそうな勢いで続けてしまっているし。 …別にマスター、嫌いでもないけど。 どっちかと言えば、本当に気楽にやらせてもらえて、感謝はたくさんある。 でももうちょい華やかなところで働きたかったなぁとは思う。 華やかなほど裏側がどす黒くて続けていられないのが私なんだけど。 店主であるマスターが暇だからと外へ遊びにいくと、店には私が一人残される。 煙草に火をつけて、カウンターの中にある椅子に座って休憩。 勤務中ではあるけど。 喉が乾いたら、カウンターの後ろにある酒を置いている棚からグラスを一つとって、水道水でも飲みながら休憩。 しばらくぼーっと店番をしていると、扉についている鐘が音をたてた。 そちらを見ると、こんな寂れた店の常連客。 40代の近場の工事現場で働くおじさんだ。 「いらっしゃいませー」 元気よく声をかけると、うれしそうな笑顔をくれて、いつものようにカウンター席にまっすぐにきてくれる。 「亜稀ちゃん、今日も元気だね。いつものもらえる?」 私は返事をして煙草の火を消すと、灰皿とおしぼりを用意して出す仕事を始める。 いつもの水割りを手慣れて作る。 コースターを置いてお客様の前に置いたら、あとは話し相手。 なんでもない日常会話。 今日は何があったとか、愚痴を聞いたりする。 もともと人見知りはしないほうだけど、ここで働いて知り合うのはおじいさんからおっさんばかりだ。 たまにおばさんもくる。 おばさんがくるとカラオケ喫茶のように、カラオケの機械を常に動かしているようなことになる。 女性のほうがおしゃべりなはずなんだけど、しゃべるよりカラオケになる。 お陰でここにきて歌が上手くなったような気がする。 「マスター、今日はいないんだ?ねぇ、亜稀ちゃん。仕事終わったら…ホテルでもいく?」 手をさりげなーく握られて撫で回されているなあと思っていたら、案の定、そういうお誘い。 風俗にでもいけよと思いつつ、やんわりと断るのはいつものこと。 酔っていなければこういうことないのだけど、酔うとこうなるのはおじいさんになってもだ。 男ってやつは何歳になっても男だ。
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