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貴臣はそれだけ言うと前に顔をやった。そして、流れる沈黙を破ったのも貴臣だ。
「さっさと入れ」
何畳あるか解らない広いリビングに押し込まれるが、先に食事を終えたのかなんなのか先客はいなかった。メイドや執事はいるけど。
「春」
また腕を取り、引き摺るようにテーブルへと歩を進める。
「早く座れ」
「は、はいぃ」
もうわけが解らない。貴臣に引かれたイスに腰を下ろし、メイドや執事から注がれる視線を遮るように顔を俯かせる。だが、すぐに顎を取られて上向かせられた。
「きちんと顔を上げろ。これも新人の務めだ」
「で、ですが……」
視線が痛い。やっぱり女装はしなくてもよかった気がする。
「御託はいい。お前は俺つきメイドなんだ。自信を持て」
「なんの自信ですか!?」とは言えずに、口を閉じた。貴臣がまた横髪を梳いたのだ。その長い指で。
「春は額に傷痕があるな」
「これは、古傷ですよ」
親指の腹で撫でられるそこは、左側の髪の分け目に近い位置だ。傷痕といっても僅かに残るだけである。しかも分け目に近いから、ぱっと見だけじゃ解らない。しかしオレの子供の頃の医療科学では、痕が残るかもしれないと言われていた。傷はそんなに深くないんだけどな。
「どうしてできたんだ?」
「それはおいおい。貴臣様、夕食が運ばれてきますよ」
やんわりと貴臣の腕を外して、視線をメイドたちに遣る。
「春――」
「冷めないうちにどうぞ」
なにか言いかけた貴臣は、メイドが運んできた夕食に視線を遣った。腕を引っ込めるメイドそのものにも視線を移動させ、小さく息を吐く。
「話しはあとだ。早く食え」
オレの前にも運ばれる夕食は和食だ。お盆に乗せられているそれは、一汁三菜で、湯気が立ち込めていた。
「え、えと……?」
「春、冷めないうちに食え。解るな?」
夕食と貴臣を交互に見遣れば、とある疑問が湧いた。
「ご家族は?」
「先に済ませた。お前が寝ていたからな」
「それは……すみません」
箸を運ぶ貴臣から察するに、貴臣は食べていなかったんだろう。一緒に食べればよかったのに。
「貴臣様はいまからですか?」
「お前が寝ていたからだ。文句があるなら自分に言え」
オレを一瞥した貴臣は、眉を顰めながら箸を止めた。早く食えと語るその圧に箸を取って手を合わせる。
「い、いただきます」
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