第1章

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この国に来る前の俺の写真が一枚だけ残っている。 ある夏の日、村に来たサーカスを家族で見に行った時に撮ったものだ。会場となる大きなテントの前で両親と俺と弟の四人が写っている写真だ。 その当時の俺は弟よりも背が低く、故郷に根付く古い願掛けの為に腰まで髪を伸ばしていた。 「可愛い! まるでお人形さんか天使みたい。いまと真逆ね」と枕元を通り過ぎていった女たちにはよく馬鹿にされた。 だが、実際は女たちの想像の真逆の扱いを受けていた。 次男よりも育たない長男は悪魔を背負っている。その重さのせいで背が伸びないんだ。いやね、不浄だわ。誰ともなくそういうことを子供の前で平気で口にする田舎だった。 母親はそのことにとても責任を感じているようで、毎朝俺の為にイコンに向かって祈り、お風呂に入る時は何種類もの薬液で俺の頭を何度も濯いだ。 その一方で父親は悪魔憑きめ、と俺のことを頻繁に殴った。まるでその勢いで悪魔がどこかに飛んでいくと思い込んでいるかのように、顔を会わせるたび執拗に何度も何度も俺を張り倒し、止めに入った母親も一緒に殴り飛ばした。そのことを教会に訴え出ても最後には俺のせいだということになった。 あるとき俺は普段は馬をつなぐ納屋の中に弟を呼び出し、父親にされているように弟を殴ってみた。弟は突然のことにびっくりした顔をして、それからゆっくり泣き出した。 「ごめんね。お兄ちゃん、ごめんね。僕のせいで。ごめんね」 これには俺の方がびっくりした。弟は俺と一つ違い、まだ5歳だった。弟は俺に抱きついてきて、自分の背が大きくてごめんね、ご飯食べ過ぎてごめんね、お兄ちゃんより大きくならないから、ごめんね、と泣きじゃくった。 俺はそれ以来、母と弟だけは自分が守ると決めた。 この国に来た時、俺はまだ12歳だった。 長らく続いた戦争が終わった翌年、母親と弟の3人で俺はこの国の指定する亡国共同体の租界地へと引っ越してきた。父親は前年戦死した。 租界地は戦場よりも少しましなだけの地獄だった。 故国からの移民は総勢約2万4千人。 移民受け入れのために強制的に土地を奪われた元々の住民からの嫌がらせがすぐに始まり、対抗するように移民たちの中からは周囲の村々を襲う略奪団が生まれ、今尚続く不和と抗争がいたるところで起こるようになった。 崩れる寸前の巨大集合住宅に、蟻のように詰め込まれて数年を生きた。
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