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さくらが問いかけると、隣を歩いているジョーは前方を向いたまま頬を強張らせた。
「あのさ、おでん屋は年内でしばらく閉めようと思うんだ」
突然の話にさくらは愕いた。客が少ないとは思っていたが、閉店を迫られるほど不振だったとは知らなかったからだ。
「どうして? 慶子おばさんがそう望んでいるの?」
さくらの問いにジョーはしばらく答えなかった。駅の表口を抜けると葉を落とした裸の銀杏並木が閑静な住宅街へと続いており、淡い街燈の灯りが間遠に足許を照らしている。
「お袋、実は癌なんだ」
突然のジョーの言葉に愕き、さくらは足を止めて彼を見た。
「なぜ・・、なぜ今まで黙っていたの?」
ジョーも立ち止まると、こちらを見た。
「さくらを心配させても、お袋の癌が治るわけじゃないからな」
彼の顔には悲痛さというよりあきらめが漂っており、安心させようとでもいうのか、ジョーは薄い笑みを口許に浮かべた。
「水臭いことを言わないでよ。私達は兄弟みたいなものじゃない。慶子おばさんは私にとっても大事なの」
喋っているうちにさくらの胸は重苦しい憤りにふさがれた。
それは、これまでそんな大事なことを内緒にしていたジョーに対しての憤りというより、いわば身内のおばさんを襲った癌という病に対する怒りだ。
眼の前に立っているジョーの顔が不意に霞んで、さくらはどうやら自分が涙を流していることに気づいたのだった。
「泣くなよ。まだ俺は絶望していないんだから」
ジョーは快活な声を装ったが、溢れ出した涙は止まらない。
唐突に、さくらはジョーにしっかり抱き締められていた。哀しみに襲われているのは息子のジョーの方なのに、と頭の片隅ではわかっているのだが、さくらはしばし彼の腕の中で子供みたいに啜り泣いた。
こうして彼の力強い腕に包まれ胸の鼓動に耳を寄せていれば、すべては杞憂に終わってくれるのだろうか。そう信じてもいいのだろうか。
さくらがやっと落ち着きを取り戻すと、ジョーは腕を解いて話しはじめた。
九月に急性盲腸で入院した際に慶子おばさんの膵臓癌が見つかったこと、癌は手術で摘出したのだけれど、先週の検査で胃に転移していることがわかったそうだ。
「医者は手術すれば大丈夫だろうと言ってくれた。ただ、転移が早いから、悪性の可能性もあるそうだ」
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