第1章

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「ナル、今更な話かもしれないが、何故お前はここを志願したんだ」  そう口を開く江口の視線は彼女ではなく足元に座る犬を見つめていた。 「一課への配属には喜ぶが、俺の班と聞くと地獄だって逃げ出す奴がほとんどだってのに……お前も俺に怒鳴られて神経すり減らすなら、さっき施設に行った時みたいな顔をしていれば良いんだ」  更に言葉を付け加える彼に表情はない。本部にいるときのような仏頂面だったが、怒鳴るつもりはないのか随分と落ち着いた風に見える。  そんな彼へと向かい、明神が小さく息を吸い込んだのはこのときだった。 「……私は一課にはふさわしくないって、そういうことですか」 「違う。違うが、何の考えもなしに居続けているわけでもないだろ」 「……」  僅かに語気を強め明神の言葉に、江口は一瞬だけ彼女の様子を横目で見やる。ビッグあんまんを食べ終わると、身体を起こして身体の脇に置いてあったビニール袋からコロッケサンドを取り出して齧っている。  その無表情での態度に明神もまた、我に返ったかのように小さく息を吐くと空いた左手で緑茶入りの暖かいペットボトルを掴んでいた。 「ここは……死線に一番近いと思ったからです」  明神にとっては自分が置かれた今の環境が最善だと思っていた。  それが“死線”――一課の中でも特に厳しいと言われる江口の下に就けることは彼女にとっての本望でもあったからだ。  例え周囲が何と言おうとも、明神は密かに彼のもとに行けることを志願していた……彼女が発した何気ない言葉に江口の瞳が僅かに険しくなる。 「死線……お前、資産家一家殺人事件の生き残りだったな。自分もいつ死んでもいいって考えか、それとも犯人への復讐心か」  無論、厳しい環境に身を置けば余計なことなど考えられないほどに精神をすり減らすことになる。  しかしその分現場に出る機会も多く凶悪犯と対峙することになるかもしれない状況で、明神は配属されてから一度も怖いと感じたことが無かった。  それは江口の言葉通り、いつ自分が死んでもいいと思っているからかもしれない――彼女がそう思うようになったのも、あの事件が原因である。 「私の家族を殺した男は死にました……私は、亡霊に鞭を打つようなことはしません」
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