第1章

2/21
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ
腰の曲がった老婆がいた。彼女は多くの本棚が並んだ部屋の中央に正座していた。手元には古ぼけた古書と小さなアルバムが置かれている。老婆はゆっくりと古書の表紙を撫でて、アルバムに目を落とす。年老いた目では、もう、字を読むことは辛く、写真ですらうすらぼんやりとしていた。 「おばあちゃん」 と扉が開き、女の子が呼んだ。老婆はゆっくりと振り返りながらにっこりと笑う女の子の顔を見た。 「おぉ、田奈かい。よぉ、来たねぇ」 と孫の名前を呼びながらおいでと手を振った。女の子、田奈は頷くと本棚から本を取り出すと、祖母の隣に座りページを開いた。本は何度も読まれていて、あちこち擦り切れていたけれど、祖母はそれでも大切にしていた。 「いいかい。田奈。本っていうのはね、書き手の心なんだ。読んでほしい気持ちやその時の感覚なんかを字に託してるんだよ」 「託す?」 「そう、いつまでも、いつまでも残るようにね、田奈。お前もこの本達を大切にしておくれよ。お願いだよ」 「うん」 元気よく頷く、田奈の頭を撫でながら、祖母はページの最後の写真を見つめた。長い時間がたってもあの時の記憶、幼い女の子を連れた赤色の衣をまとった少年との思い 出、彼はいったい何者だったのか、そしてあの時、何が起こったのか。何十年たってもわからないままだった。娘が生まれ、その娘が結婚し、孫ができた。 充分に満足した人生だったけれど、最後に心残りになっていた。もう一度でいいから会いたい。会って、そのときのことを聞きたいと祖母は心のどこかで願い続けていたが、その願いが叶うことはなかった。 もしくは叶わなくていいと思っていたからかもしれない。それが金髪の少年に対する感情が特別な物だったからだ。長年、連れ添った夫よりも深い、恋慕だったからだ。 会えないと思うと、心が締め付けられる。痛くて泣きたくなる。だから、彼女はそのことを誰にも話さなかった。古いアルバムに一枚の写真と共に気持ちを押し込み、多くの古書の中に隠した。 誰にも話さないまま、一人、墓に持って行き、彼女は長い人生に終わりを告げた。こうして彼女の人生は幕を閉じるけれど、彼女が残したアルバムから新たな物語が動き出す。 金髪の少年と少女の物語が動き出す。 夏で夏休みだった。七月が過ぎ、世の中の学生や若者達は夏休みという長期休暇を迎えていた。季節は夏、気温はぐんぐんと上がり、茹だるような暑さに誰もが
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!