益田沖のあかくらげ

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 幼い頃の結構な時間を祖父母の家で過ごした。  島根と山口のほぼ県境、益田って言うこじんまりした田舎町だ。詳しい人口は知らないが、4、5万人ってところじゃないだろうか。面積のわりに人が少なくて、山だらけで、静かな、山陰線が走るだけのほのぼのとしたいい町だった。  それに海も近い。日本海がすぐそこまで迫っていて、家からものの15分で釣り場に行き着けた。おれがいまだに釣り好きな理由はここにある。親父に連れられ結構な頻度で漁港に繰り出していた幼い日のおれは、なまぐさな親父に与えられた子供だましの安い竿と仕掛けを宝物のように大切に扱い、クサフグや木っ端グレをはじめとした雑魚を釣り上げては家に持ち帰ろうとして、同行していた母に叱られていた。もう20年近く前の話だ。  益田の海には魚が少ないこと以外にも一つあまりよくない思い出がある。昔、浜辺に海水浴に出掛けたとき、腕をクラゲに刺されたのだ。4歳かそんくらいの時。紐のついた浮き輪にしがみついたおれは親父に引かれ、水深1メートルも無い浅瀬で遊んでいたらしい。覚えているのは右腕に走った激痛と、逆さまに見えた夕日と山影、失神しかけたおれを支える親父の筋肉質な腕の太さ。家に帰って消毒液か何かを塗られたことも微かに覚えている。腕を丁度一周するくらいのみみず腫の痕は痣になっていて、今もそこにくっきりと残っている。なんと言うことはない、田舎小僧にはよくある一生ものの勲章のうちの一つだ。もっとも楽しかった子供時代の記憶は、この痣と共に、体の奥底に刻み込まれているのだ。  祖父が他界し、残された祖母も京都に住む叔母の家で介護を受けながら暮らすようになって以来、あの益田の家を訪れたことはなかったのだが、2年の長きに渡った浪人生活にもようやく終止符が打たれた昨年、中学の夏休みに置き忘れていた大量の釣り道具を回収しに行く計画を自ら立ち上げ、実行した。家に車は無く、電車を乗り継いでの長旅の末、ほぼ丸一日かけて大阪から一人でたどり着いた益田の駅から、話を始める。
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