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こうやって考えてくると、出来るのは相手の心を想像するということだけで、本当に相手の心を分かるなんてことは出来ません。
それが出来ると思っているのなら、それは驕りというものです。
自分が想像で作ったに過ぎない相手の心を相手の心そのものと一分も違わないものだと確信しているわけですから。
例えば、深い悲しみを抱えているときに「分かるよ」なんて言われたら、「この悲しみを実際に体験しているのも、実際に悲しいのも、この自分自身であってお前ではないのに、その経験も悲しみも抱いていないお前に何が分かるっていうんだよ 」と叫ばずにはいられないかと思います。
本当に相手の心を分かるなんてことは出来ません。
同様に、本当に相手に心があるのかどうかも分かりません。
自分たちに出来ることは、相手の心を想像することだけです。
そして、その想像を通して相手に心があると思うことだけです。
これはなぜかというと、結局自分たちは相手の言葉や態度というものを通してでしかーー間接的にでしかーー相手の事を知ることが出来ないからです。
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