第1章

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出会い  沙希は、地方の国立大学の後輩として僕の職場にやってきた。しかも僕のアシスタント兼見倣い的なポジションで、そしてヤタラと声が大きかった。例えば静かにカクテルを傾けるような雰囲気のある店でも、店中に響き渡るくらいの大声で話をするようなタイプの女子は沙希が初めてだった。  何しろ彼女は、三歳くらいから空手を続けていて現在は四段の腕前。しかも得意技はローキックなのだそうだ(本当は下段何とかっていうらしい)。そんな彼女を迎えるにあたり、兎に角これで夜道も安心して歩けるかななどとあらぬ事を考えていたのだが、実際の彼女は見かけはチビで、しかも顔も童顔なので中学生にしか見えなかった。心もとないって言うか、頼りないって言うか、拍子抜けして、何となくいつも心配しながら見ている僕がいた。  向学心があるというか、いつでも前向きな彼女は、僕が出かける時には何処にでもホイホイ付いてきて、しかもビールを呑みながらのたわいのない会話までメモを取る勢い。こんな姿には、初めてできた後輩が少しずつ可愛いく感じるようになってきていた。そしてこいつを大切にしなきゃと、末っ子である僕に妹ができた、そんな気がしていた。  その持ち前の明るさで、沙希は眩しい笑顔を振り撒きながら、相当にシックな洋館作りの僕の職場に華やいだ風を吹き込んだ。しかし、大学の研究室の下請け的なこの職場に自ら希望して来るものはいない。そんな所になぜ彼女が来たのか、或いは来ざるを得なかったのかは不明だ。しかしある噂によると、大学院の教授と男女絡みの問題を起こしたらしいという噂が伝わってきた。しかし多少なりとも彼女を知る僕には、これは全く信じられない噂で、大体沙希には色気どころか、女を感じることさえ難しいようなキャラだった。  まあ、経緯はどうあれ天真爛漫な彼女の存在は、僕に忘れかけていた感情を思い出させてくれ、不思議な事に職場への出勤が楽しみになった。そしてそれまで何の意味も感じなかった仕事にさえ遣り甲斐を感じ始める僕がいた。 失踪  所長からの呼び出しは久しぶりの事で、この前顔を合わせたのは何時だっただろう。見覚えのあるオークのドアを開けると、正面に窓を背にして水色のワンピースを着た所長が書類に目を通したまま僕を迎え入れた。逆光に透かされた彼女の肩は小さく頼りなげな感じがした。
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