【第三章】山脈越え

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こちらに害意は無いとジルバートが主張した矢先に、カナミが威圧しながら老婆に歩み寄る。 止める声など聞く耳持たず、カナミはズンズンと前へ進んでいった。 この山には老婆のような変わり者がとても多く生息しているが、何故そこにいるのかを聞くのは禁忌。 例えば若い頃に子どもを亡くしていて、もう一度話をするために幽霊山と名高いこの場所で修行をする。 そんな伝奇めいた話を本気で信じている場合が多い。 思想の違いは争いを生む。 こういう場合は厄介なことになる前に、穏便に済ませるのが定石だ。 「おい、聞いてんのか?」 カナミが近寄っても老婆は何も語らない。 それが少しだけ気持ち悪く感じてしまう。 「か、カナミくん。 止めた方がいいよ」 ジルバートの後ろから出てきたセリムが、カナミの裾を掴んで止めた。 その時だ。 老婆は急に目を見開いて笑う。 パクパクと口を動かす素振りを見せ、まるで頭の中に直接響かせるような声を絞り出した。 それは先ほどのダミ声ではない。 幼い少女のような、可愛らしい声だった。 『良かったネ』 老婆の皮膚が青く染まり、目が黒色に変化した。 穴という穴から黒い液体を滴らせ、それは勢い良くカナミに向かって吹き付けられた。 咄嗟に腕で顔を覆うカナミ。 セリムは尻餅を付いて叫んでしまう。 背後にいるジルバートはそれよりもまず、上方から聞こえる不吉な音に集中した。 あまりに唐突過ぎて反応が遅れてしまった。 乾燥した岩肌を伝うヒビ割れは、音と共に既に大きく広がっている。 「ステリ様!」 この洞穴は崩れ落ちる。 脊椎反射のごとく、ジルバートは側にいるステリを庇うように抱え込み、後方へと下がった。 「わあああ!」 「おいおっさん! 俺たちも助けろぉ!」 カナミ達は叫ぶが、もう遅い。 隣にいたはずの老婆は土塊のように崩れてしまい、同時に落石がトンネルを塞ぎ始めた。 ジルバートの方へ走り抜けるのでは間に合わない。 カナミはセリムの手を取って、前方へと飛び込んだ。 土埃と轟音を上げながら経路の一部は封じられ、一行は二つに分断されてしまった。
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