第1章

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朝、9時に目を覚ます。 桐谷 智也は自室を出てリビングへと向かった。 「おはよう。あんた、昨日は何時に帰ってきたの?」 朝食を既に食べ終えた母親が智也に聞いた。 「昨日は……2時には帰ってきたよ」 「またそんなに遅く? 塾講師ってもっと楽かと思ったわ」 自分が働いている訳でもないのに、母親はブツブツと文句を言いながら掃除機をかけ始めた。 智也が勤めている塾は、全国区のものではないごく小さな学習塾だ。 しかし中学受験をする子供達を持つ親の中では、割と名が通っている。 「もう10月に入れば子供達も自分の行きたい中学が固定されてくるからね。模擬試験も増えて採点に時間が掛かるんだ」 掃除機をかけている母親には聞こえているか分からない。とりあえず言うだけ言って、キッチンへと向かう。 自分でコーヒーを入れて、母親が取っておいてくれた朝食を食べながら片隅の新聞に手を伸ばすと、その下の封筒も一緒についてきた。 「……あー……また連絡するの、忘れた……」 智也が目にしたその封筒は、ハートを蔦にして表現した結婚式場のマークが入っていた。 トーストを食べながらため息を吐いていると、掃除機を片付けながら母親がタイミング良く声をかけてきた。 「昨日、美奈子ちゃんが持って来てくれたのよ。“招待状と、席次表の確認をしてください”って。仕事が忙しいからって美奈子ちゃんに全部やらせちゃダメよ? 自分の結婚式なんだから」 3年付き合った美奈子と、来春籍を入れる。 自分の結婚式、と言われても結婚式なんて新婦がメインで新郎なんか刺身のツマとたいして変わらない存在だ。 花嫁を引き立たせるだけの役割なんだから、美奈子が好きに決めてくれればいい。……と、本当は思っているが、男が「好きにして良いよ」と言うと、なぜか女は怒る。男が意見を出しても通らないことの方が多いのに。 結婚前に女性がマリッジブルーになるとは聞くが、男性だってなるのではないか、と智也は思った。 そう単なる愚痴のような事を考えていると、母親が「そうそう」と言いながら智也の側へ来た。 「あんたが小学生の時に通ってたそろばん教室、覚えてる? あそこ今度取り壊しになるんですって」
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