一章

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一章

「ねェねェ、ウチの店の前に、覆面パトカー停まったよォ」  猫なで声をさらに甘くしたような声が通った。窓から下の様子を伺うその格好は、金髪ツインテールのウィッグ、そして丈の短いフリフリのメイド服。身長はそこまで高くないけれど、黒いスカートからのぞく両足は細くスラリとしている。  胸につけた名札の『アイ』という名の通り、ぱっちりとした両目はまつ毛が長く、愛らしい。二十歳を超えているとは思えぬほどの童顔だ。  カウンターの向こうから、愛の声とは真逆の、タバコでしゃがれた低い声が返った。 「どうして覆面パトカーってわかるの、アイ?」 「ん、補助ミラーがついてるの。左側助手席の方ね。教習所の車以外ならそれしかないんだァ」  アイがお盆を抱えて「えへっ」と首を傾げると、ソファ席やカウンターに座る客全員がほっこりと笑った。 「アンタね、かわいく言っても、言ってること全然かわいくないわよ?」  そう言いながら両手を拭き、カウンターを越えて出てきたのは身長一八〇センチ近い大男。足をつりそうな高さのピンヒールを履いている上に、伸ばした髪の毛をひっつめて頭頂部に団子を作っているから、余計に大きく見える。  フロアに三人いる客の間を大股ですり抜け、ほんの五歩で窓際へ。メイド服のアイと並ぶと余計に店内のイロモノ感が際立つ。バッチリ施された厚化粧の下には、体のラインがよくわかる真っ赤なスパンコールのロングドレス。その上に調理用のシンプルなエプロンをしていて、まるで新宿二丁目から臨時でスタッフを募集したかのような出で立ちである。  アイと同じく胸元につけられた名札には『ルイ』の文字。腕を組んで鼻息をフンと吐き出すと、ルイはアイと一緒に窓の外を見下ろした。  表通りに面した店舗の二階に位置するこの店は、店員のファッションに目を瞑れば、ごく一般的な喫茶店だ。二人もいれば充分回せる、個人経営の小さな店。壁紙は落ち着きのあるクリーム色。アイビーの葉をあしらった透明のガラス瓶が置かれ、ブリキのバケツが雰囲気を作っている。  今日のような休日には店の雰囲気を楽しむ女子大生、セレブリティな老夫婦がやってくる。読書の場を探してたどり着いた高校生もいれば、アイとのお喋りを楽しみに通う男性客もいる。そして平日にはサラリーマンの昼食に賑わう、平凡な喫茶店なのだ。警察が訪れる理由などない。
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