第一部 「彼女の役割」

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 今年の関東地方は春の到来が遅くて、入学式の当日に桜の満開が重なった。  美しく咲き誇る桜を見て、僕は突然違和感を覚えた。───桜って、春に咲くものだったろうかって。なんでそんなことを思ったのだか、わからなかった。  常識離れした突飛な思考など、僕にはこれまで縁がない、はずだった。  僕───友納秋緒(とものうあきお)という名の、一五歳の少年は、平均的な知性と体格を持ち、平均的な家庭に育ち、特筆すべき才能も、大きな事故や事件に遭遇した経験もない。平均値が服を着て歩いているような、ごくごく普通の人間だ。  でも、それを後ろめたく思ったことはあまりない。自分は、まだ色がついてない何かなのだ。これから初めて出会う新入生の中でも、とりわけまっさらな。  色をつけられてしまうかもしれない、という漠然とした期待こそが希望だった。僕がこの世界に生きて何をなすか、僕の役割とは何なのか、それはこれから決まる話なのだ。  僕が入学する神奈川県立小杉南高校は、数年前に創設されたばかりの新しい学校だ。  JR武蔵小杉駅横須賀線口前のバスロータリー。工場地帯を再開発し、タワーマンションやオフィスビルに筍のごとく生えそろうエリアの一角に、生徒会から案内役として派遣されたらしい先輩方が、「南高校はこちら」と案内板を掲げて立っていた。  指示に従って、新幹線の高架に沿うビルの谷間の路地を、ブレザーの制服をまだ着こなせていない集団が、南極のペンギンみたいに覚束ない足取りで無秩序にしかし一方向へ進んでいく。僕もそのひとりになって歩いた。  誰も彼も、いよいよ始まる高校生活への期待に胸ふくらませていた。それが宝物みたいに、壊れることなんかないみたいに。表情は明るかったり固かったり様々だが、そうした昂揚感の連鎖だけで世界すら変えられるような、そんな気がした。  ビルの一階のコンビニの、愛想よさげな中年店員が、店の前を掃除しながら、そんな初々しさをまぶしそうに眺めていた。  入学式は、禿頭の校長の挨拶だの、えらい議員の挨拶だの、いかにも頭が切れそうなメガネの新入生総代の挨拶だの、担任教師の紹介だので、通り一遍で終わった。
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