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 アルテミスはオレンジ色の髪を左手でかきあげて人工の空を見上げた。濃い灰色の雲を見て、アルテミスの薄紫色の瞳も曇った。 「今日は降らないだろうね」  アルテミスは恨めしそうに言ってから、腰のチョークバッグに右手を入れた。探していたもの、バブルガムが手に当たった。マンダリンオレンジの文字と丸い果物のイラストがプリントされた包装を、薄紫の瞳がしばらく見つめた。 「マンダリン・オレンジ、か。食べてみたいな」  いつものひとりごとをつぶやき、薄紙をはがした。柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。アルテミスは本物のオレンジを見たこともなかったが、その香りとほのかな酸味が好きだった。指先ほどの大きさのバブルガムを口に放り込み、包装紙を足元に捨てた。ビルの陰から筒型の小型清掃ロボットが現れ、足元に落ちた紙を吸い込んで、元の位置に戻った。  アルテミスは時々ガムを膨らませながら、バス停に向かった。  何台もの清掃ロボットが路上を掃除していた。綺麗になっているのは、せいぜい午前中だけだった。夜が近づけば、ロボットの掃除では追いつかないほどゴミが溢れる。 「仕事がないのに消費だけはできるんだから、不思議よね」  道路のところどころに座り込んだり、横になっている酔っ払いやジャンキーがいた。意識がないように見える者たちが、アルテミスの小さな足音を聞きつけて薄目を開けた。この界隈でシビリアンポリスのアルテミス・ヌールを知らない者はいない。後ろ暗くない者はそのほっそりとしたシルエットに安心して、多少でも後ろ暗いところがある者はほっそりしたシルエットと係わることを避けるために再び目を閉じた。  定刻にバスが現れた。 「遅刻しないで済みそうだ」  運転手に笑いかけながらバスに乗り込もうとした時、大気を切り裂くような音が聞こえた。アルテミスは乗車口から離れた。後方から二台のエアカーと一台のエアバイクが猛烈なスピードで近づいてきた。瞳の中に情報が表示された。 「全員三十キロのスピードオーバーに浮上高規制違反だ」  二台のエアカーは三メートルあるガードフェンスの上を飛んでいた。急停車したエアカーを飛び越えて、バスに近づいてくる。若干遅れていたエアバイクのライダーが銃を構えた。 「朝からカーチェイスに銃撃戦か。勘弁してよ」  信号が赤に変わった。
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