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 鮫島凪は平気で人を傷つけるくせに、どこか繊細な部分があった。浴びるほど血を被った時なんかは、頭から冷たいシャワーを浴びながら自分の身体を強く抱きしめる。仕事の後、鮫島はいつも繁華街の外れのラブホテルに立ち寄って血を洗い流す。昂ぶった精神も同時に冷やすのだろうか。初めて鮫島のこの『儀式』に立ち合った時、香久山は驚きを隠せなかった。鮫島の『儀式』に驚いたのではない、鮫島の身体に驚いたのだ。バランスよく筋肉のついた身体には無数の傷跡が残り、少し動くたびに大きく引き攣れた。鮫島が夏でも冴えないスーツを着ているのは、自分の身体と身体の傷を隠すためだったのだ。すっかり冷え切ってしまっただろう鮫島に背後から声をかけた香久山を、鮫島はひどく驚いたような表情で振り返った。香久山を連れて来ていたことを完全に失念していたようだった。頭から濡れそぼった鮫島は、誰にも見せたことのないような笑顔を浮かべて香久山に手を差し出した。まるで引き寄せられるように香久山は一歩を踏み出していた。二人は抱き合うようにシャワーを浴びた。血を被っていたのは鮫島だけだったが、仕事の後のせいで神経が昂ぶっていたのは見ていただけの香久山も同じだった。眼鏡をはずした鮫島は精悍で整った顔立ちをしていたし、背筋を伸ばすと思っていたよりずっと背が高く、スーツを脱ぐと鍛えられた身体はとても男らしかった。本来の鮫島の外見は女が放っておかない部類の男なのに、ヒモ同然の生活をしていた香久山をも鮫島は欺いていたのだ。香久山は鮫島の正体にかけらほども気づいていなかった、ただの冴えないつまらない男だと思っていた。  特攻隊長の香久山平と、より高次な戦闘部隊に当たる実行部長の鮫島凪───東条組の実行部長である灰原鳴海の抱える『暗部』だ。その中でも香久山は表、鮫島こそが裏。 「姫」  鮫島に呼ばれ、香久山は振り向いた。 「手が空いてるなら話がある」  香久山の向かいに座っていた杉浦は、行けというように手を振った。  隣の部屋に移動すると、先ほどまでは項垂れたサラリーマンのようだったくせに、鮫島の雰囲気は一変した。 「今夜に決まった」  全ての表情が消え失せた例の無表情で鮫島が言った。 「もう仮出所してるらしい───これ以上は野放しにできないから、さっさと息の根を止めておかないとメンツにかかわる」  ぼそぼそと低い声が続けた。
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