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『月だって住み心地はいいわー』
補講授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、彼女は歌い出した。いつものでたらめな歌だ。毎回同じメロディのくせに、毎回歌詞が違う。突然歌い出すので、クラスの子と上手くやれているのか、僕は心配になる。中学生の世界は中々、厳しいはずだ。
「その歌は何だい?」
つい堪らなくなって僕は訊いてしまう。お世辞に言っても上手いとは言えない、その歌は、できれば歌わない方が彼女のためになるはずだ。それでなくとも、びっくりするくらい数学のできない彼女は、クラスではちょいと浮いている。今日だって、補講には彼女一人だ。
「知らない」
「何で歌うの?」
「つい口から出ちゃうの」
「友達とかに何か言われない?」
「大丈夫。先生の前でしか歌わないから」
「え?」
「と言うか、先生を見ると勝手に歌っちゃうの」
そう言うと彼女は『鳥じゃないよー翼だってないしー』とまたでたらめな歌を歌い出した。
「先生にはそんなことってない?」
「そんなこと?」
「勝手に体が動いちゃうこと。私の知らない記憶が勝手に私を動かしてしまうこと」
「知らない記憶?」
「そう、他の人の記憶とか前世とかの記憶とか。先生はない?」
「……ないよ」
そっかー、と彼女は言うと帰る支度を始める。
僕は、ああそうか、と思う。僕は気付いているのだ。彼女を見る度に抱きしめたくなるこの思いも、全部知っている。どこから来るものなのかも全部。もしかしたら彼女も?
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