第1章

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『月だって住み心地はいいわー』 補講授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、彼女は歌い出した。いつものでたらめな歌だ。毎回同じメロディのくせに、毎回歌詞が違う。突然歌い出すので、クラスの子と上手くやれているのか、僕は心配になる。中学生の世界は中々、厳しいはずだ。 「その歌は何だい?」 つい堪らなくなって僕は訊いてしまう。お世辞に言っても上手いとは言えない、その歌は、できれば歌わない方が彼女のためになるはずだ。それでなくとも、びっくりするくらい数学のできない彼女は、クラスではちょいと浮いている。今日だって、補講には彼女一人だ。 「知らない」 「何で歌うの?」 「つい口から出ちゃうの」 「友達とかに何か言われない?」 「大丈夫。先生の前でしか歌わないから」 「え?」 「と言うか、先生を見ると勝手に歌っちゃうの」 そう言うと彼女は『鳥じゃないよー翼だってないしー』とまたでたらめな歌を歌い出した。 「先生にはそんなことってない?」 「そんなこと?」 「勝手に体が動いちゃうこと。私の知らない記憶が勝手に私を動かしてしまうこと」 「知らない記憶?」 「そう、他の人の記憶とか前世とかの記憶とか。先生はない?」 「……ないよ」 そっかー、と彼女は言うと帰る支度を始める。 僕は、ああそうか、と思う。僕は気付いているのだ。彼女を見る度に抱きしめたくなるこの思いも、全部知っている。どこから来るものなのかも全部。もしかしたら彼女も?
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