序章

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僕が横浜と云う街に憧れたのは、子供の頃一緒に暮らした祖父の影響が大きいのだと思う。 彼は、いつも懐かしそうに横浜の街の事を僕に話してくれた。 午前零時、新しい年を迎える瞬間、港に鳴り響く警笛の音や、港沿いに並ぶ煉瓦造りの倉庫や、西洋館や、街並みや…… 海のない甲府の街で育った僕にとって、祖父の話は憧れを抱くのに充分だった。 祖父はお洒落で、夏でも麻のジャケットを羽織り、丸いつばの山型帽子を被り、背筋をピンと伸ばして涼しい顔で街を歩く。 僕の憧れは、その彼の姿を通しての物だろう。 どうして彼が甲府の街に帰って来たのかは、誰も教えてくれなかった。 横浜の街で手広く貿易の仕事をして、随分な財産を築いたであろう事は子供心にも理解できた。 祖父の家は周りより大きかったし、広い庭も見晴らしの良いベランダもあったのだ。 優しい祖母とも一緒だったのだけれど、彼女は祖父が横浜の話を始めるといつもさり気なくキッチンへ消える。 彼女から、横浜の話も、その頃の祖父の事も聞いた記憶は無い。
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