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小林嵐山がそのお寺を訪ねたのは、そのお寺にかつて生死を共にした仲間が眠っているからである。
和尚さんとはとうに顔馴染みであったから、特に変わった事もなくその一日は過ぎようとしていた。
強いて変わった事として挙げるのなら、境内の一角に無数の靴が山のように積まれていた事と境内でつまづいたこと。
そしてお寺を出ようとした時一人の少女に呼び止められ、こう言われたこと位であった。
「私は藤森ゆきと申します」
「初めまして藤森ゆきさん。
私は小林嵐山と申します。
私に何か御用ですか?」
親友兼永遠のライバルである一式翁曰わく、嵐山が所謂標準語を使う場合は三つの中のどれかが理由であるという。
まず、相手が近年めったに出くわさなくなって久しい年長者である場合。
次に、今はなき海軍軍令部や海軍省といった、周りが上官だらけの所謂お堅い場所に赴いた場合。
そして、相手が初対面でありどのような人物なのか推し量っている場合。
しかし今回に限っては、三つの中のどれも当てはまらなそうである。
誰がどう見てもゆきの側が年下なのは明白であるし、寺の境内のどこを探しても日章旗はおろか日の丸も見当たらなかったのだ。
そして、嵐山が見るに藤森ゆきは怪しいどころか、嵐山を端から年寄り扱いしなかった上にまず自らが先に名乗った程の礼儀正しい少女。
その場で誉めて後からマルーンの疾風(阪急電鉄が毎年製作しているカレンダー)を郵送すると約束するのならともかく、怪しむなどとんでもない事である。
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