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「俺から伝えるべきだったな。ごめんな、既に香織さんから聞いてると思っていて」
「母は私に仕事の話なんてしないわ。いつも、磯崎さんから安否確認程度に話を聞いていただけ。……今回、磯崎さんが言えなかったのは、私を気遣ってのことよね」
悠希と新たな一歩を踏み出した私に対して、母が一之瀬さんと接触しているとは言い辛かったのだろう。私が苦渋を浮かべるのは分かり切っているから。
小さな息を落とし、ベッドを挟んで向こう側に座る磯崎さんへと視線を伸ばした。
「違う。私も知らなかったの」
磯崎さんの表情に動揺が浮かんでいる。
「知らなかった?」
「だって、香織ちゃんはネイルサロンだと言っていて」
「ネイルサロン?ネイル業界にまで手を出してるの?」
「まだ企画の段階らしいけど。他にも新店舗開店の準備とか、色々と抱えてるみたいで。だけど、一之瀬さんとのアライアンス契約だとは一言も聞かされてないの。てっきり、一時保留にしてるのかと思ってた」
「それって……」
磯崎さんにまで秘密にするつもりでいたの?今まで一度もそんな状況は無かったはず。母さんが彼に隠し事をするなんて……。もしかして、磯崎さんを介して私の耳に入れたくなかったから?
衝撃を受けている彼と差し向かい、喉まで上がった言葉を瞬時に飲み込んだ。
「言葉足らずなのは、私と香織ちゃんも同じだったわね。さっき麗ちゃんに偉そうなこと言っておいて、恥ずかしいわ」
自嘲的な笑みを張り付けた彼は、微動だにしない母に目を置いて訥々と言葉を継いだ。
「磯崎さん……」
「そうだ。麗ちゃん、一之瀬さんと外でお茶でもして来なさいよ」
「えっ……」
「院内のカフェは閉店しちゃったから。あ、もしかして二人とも夕食がまだなんじゃない?」
磯崎さんは思い立ったように語を急かすと、椅子に掛けてあるジャケットの内ポケットから財布を取り出した。
「少ないけど、食事代の足しにして」
そう言って母の足元を回った彼は、私の前に一万円札を差し出した。
「そんな、貰えないよ。自分で出すから」
目を見張り手を横に振った。けれども、磯崎さんは半ば強引にそれを私の手に握らせ、眉尻を下げる。
「良いから。受け取って頂戴。わざわざ帰国して足を運んでくれたのに、病室では何のお構いもできないし。これは、私なりの礼儀よ。それに、一度出したお金を引っ込めるのも恥だから」
困惑しつつ一之瀬さんの表情を窺うと、磯崎さんを真っ直ぐに見る彼は「ご厚意に甘えてご相伴に預かります」と言葉を添え、慇懃に一礼をした。
「香織さん、突然お邪魔してすみませんでした。今夜はこれで失礼致します。お大事にしてください」
折り目正しい言葉の後、彼の手が私の背中にそっと触れた。
「行こう、麗香」
耳に流れる柔らかな声。躊躇いを携える私は小さく頷いて、一之瀬さんに連れたって病室を後にした。
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