運命の巡り会わせ

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  ハァ ハァ ハァ ハァ ――――   息せき切って舞い戻ってきた倫太朗は、その胸元に   しっかり診療カバンを抱いていた。   恐らく彼があれほどまでに救急を拒んだのは   警察の介入を恐れたからだと考えた。   今時、江戸時代の腹切りじゃああるまいし、   自分で自分の腹へ刃物を突き刺す物好きはいない。   だとすると第三者からの傷害行為と判断するのが   妥当で。   医師、看護師などの医療従事者には、通報の義務が   あるのだ。 「―― 遅くなってすみませんでした ―― 体、仰向けに  しますよー」   倫太朗がそう声をかけながら、   男の体を仰向けにすると、腹部の鮮血のシミは初めて   見た時よりかなり広がっていた。   もう、時間の余裕はない。   薄っすら意識を戻した男は、倫太朗が手際よく   創傷処理の準備を進めていく姿を見ながら   こう言った。 「……兄ちゃん、あんた、医者だったのかい」 「はぁ、まだ駆け出しの新米ですが」 「オレは、ラッキーだったな」 「それは処理が無事に終わってから言って下さい。あの、  あなたの命、しばらくボクがお預かりします」   外科、創傷処理は今まで数え切れない位こなしてきた。   ただ、ここまで深手の刺し傷をたった1人でというのは   初めてで、柄にもなく手が震える……。   ―― 大丈夫、ボクなら出来る。   いつものようにそんな自己暗示をかけ。   処理に挑んだ。   ―― 午前0時10分過ぎ。   処理は無事終了した。   何よりも彼の並外れた基礎体力に助けられた。   彼の口調や目つき雰囲気等で、もしかしたら……とは   思ってはいたけど。   シャツを脱がせた際、彼の背中一面に広がる   不動明王の和彫りを見た時はさすがにびっくりして   一瞬手が止まった。   今彼は、麻酔が良く効いてぐっすり眠っている。   その息遣いと顔色、脈拍を今1度確認して。   倫太朗はもう人としての義務は果たしたので、   この場から去ろうと思ったが……。   (……1人じゃ、寂しやろなァ)   結局、まんじりともせず、その男の傍らで   夜を明かして。
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