5 夢

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 そういえば、と苑子は夢幻の中で考える。父が夢に出てきたことはあまりない。皆無ではないが、思い出そうとしても蘇らない。苑子の人生において父は一番身近にいた人間だから夢に出てこなくても不思議はないが、その辺りの心理メカニズムは苑子にはいつも不思議だ。  唯一苑子が憶えているのは父と田舎に旅行した夢。行き先が現実世界にもある場所なのか、夢空間の非在地なのか、苑子にはまったくわからない。花火をした記憶があるので季節は夏だったのだろう。川のせせらぎを聞いた気がするが、海の波音だったかもしれない。夜の空には怖いくらいに星が溢れ、却って星座の見当がつかないほどだ。必死になって夏の大三角形を探したことを思い出す。母の姿はないが、苑子の年齢が小学校四年生くらいだったから、身体の弱い母を家に置き、父と二人で夏の旅行に出かけた……という設定だろう。  泊まった宿はホテルではなく民宿で、女主人とその子供と従業員が登場する。一家の主は登場しない。だから、あの宿は母子家庭だったのだ、と今の苑子なら思い至るが、当時はそんなことなど浮かびもしない。深夜、二階の部屋の天井にユウレイグモが這ったのを苑子は瘧に罹かったかのように思い出す。目を覚ました隣の布団に父がいない。同時にユウレイグモも消えていない。苑子は自分の時間で十分間ほどじっと耐え、それからガバッと布団を剥がすと一目散に父を探しに部屋を出る。探すといっても勝手を知らない民宿だ。泊まった部屋以外、ラウンジ風に改装された、玄関を入ってすぐの広間しか頭に浮かばない。苑子が階段を降り、ラウンジを覗くと父がいる。父独りではなく、民宿の女主人と酒を酌み交わしている。苑子が思い返しても夢の中の父に女を狙う男の表情は見られない。代わりに女主人の顔には媚があり、肢体の動きが科を作る。もちろん最初に夢を観たときには気づかなかったことだ。
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