その男教師

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 穏やかな夜空が広がっていた__  繁華街は人で溢れ、それぞれの時を満喫している。こうこうと灯るネオン、赤く染まるテールランプの群れ、ざわめく喧騒、響き渡るBGM、その全てがやけに力強い。  カレンダーではもうすぐ三月。夕方まで降り続いていた冷たい雨はやんだ。吹き込む風は微かに温かく春の匂いを含んでいる。枯れ木だけの街路樹に蕾が芽吹くのもそれほど先ではないだろう。全ては来るべき春への希望をも示しているようだ。  だが学生である槙田(まきた)にはそれを感じる余裕はなかった。ガクガクと震え、顔面蒼白で立ち尽くす。着こむ制服は砂と埃で汚れている。その口角が切れてうっすらと血が滲んでいた。  少し離れた地面には別の少年が倒れ込んでいる。悪友の田中(たなか)だ。普段はイケイケで大胆な田中だが、そのいつもの勢いは微塵も感じられない。両手で頭を抱えて祈るように地面に這いつくばっている。  当然といえば当然だろう。殴る蹴るの暴行を受けて、立ち上がることさえ出来ないのだから。  辺りに響き渡る苦痛に喘ぐ声。骨でも折れてなければいいけど、と祈った。  祈る以外槙田にはなにもしてやれない。助けを求めようにもそれも不可能。ここは繁華街から数本隔てた通り。数件のスナックが存在するが行き交う人の姿は皆無。漏れ響くカラオケの音と立て看板の赤い色だけが虚しさを象徴している。無力さだけを痛感していた。 「どうした小僧、さっきの威勢はどこいった?」  槙田の眼前に立ち尽くす男が言った。細いメガネを掛けた、紺のスーツを着こむ細面の男。胸元で両手を組み、首を少し傾けて睨みを利かせている。一見どこにでもいるサラリーマンのようだが、その言葉と視線の奥には相手を威圧する気迫を感じる。襟元に輝くのは独特のピンバッチ。ネコをモチーフにしたゆるキャラらしいが、槙田からすれば威圧の対象。この近辺を統べる柏木(かしわぎ)組の象徴だ。
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