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「……なんでしょうか?」
ここぞとばかりに落ち着き払った声で訊く。声のトーンを下げて、ゆっくりと余裕をもって話す。
動物と一緒で周波数の高い音に警戒するから、その敵意警報を解除するためである。
そこに一瞬の間隙ができる。そこが狙いなのだ。
眼前のチャラ男はキョトンとした表情で、やたら眼をパチパチと瞬かせていた。
「あれ~、やらないのマー君?」
「えっ……なにを?」チャラ男がようよう声をだした。
「なにをって……こいつをシめないのかよ!?」
「こいつ……?」
チャラ男が茫然と僕を見た。まるで目の前に僕がいるのが理解できないように、口を半開きにして声を詰まらせている。
いや、まるで記憶にないことに戸惑いを隠せないでいるのだ。
「すみませんが、用がないのなら退いてください」
牙が抜けたハイエナの前から、僕は余裕綽々な態度で立ち去った。
チャラ男の仲間が唖然としている。いや、他の乗客も理解不能な表情で茫然としていた。
(これくらいで良い。僕の身の丈に合ったやり方だ。)
わずかな満足感に浸りながら、しみじみとそう思う。
ウサギが猛獣から逃げることはあっても、ウサギが猛獣を襲うことはないのだから。
“なにかひとつ趣味を持たない限り、人間は幸福も安心も得られない”
これも先人の言葉だ。
僕の場合、身の丈に合った趣味。小さな器に収まる満足感が得られればそれで良い。
「所詮、僕の身の丈はプチサイズなのさ」
山あり谷あり落とし穴ありな、波瀾万丈の人生なんて望んではいない。
“平凡な男ここに眠る”と墓標に刻まれる終焉が理想的なのだ。
我が身の器を自虐しながら、ふと電車内の液晶テレビに視線を移した。
『明日、安芸総理出席で開催される星降市技術開発センター開所式典に、来日中のT大統領が参加することになりました。
なお安芸総理は、式典参加に──』
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