夜に笛を吹きて来たる

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夜に笛を吹きて来たる

 それは蛾眉の月が怖い夜であった。  私こと天神牛子(てんじんうしこ)は、寺田寅彦(てらだとらひこ)の頼みで古物競売に参加した帰りだった。 「優秀な助手がいると、誠に安楽であるな」  寺田が煙草をくゆらせながら言った。  寺田はキリンの縞模様とかの研究をしている、かなり奇妙キテレツな科学者なのである。私はその寺田の助手をしている。 「もー、教授ったら。私は大変だったんですからね」  私は多少ごねながら、猫背で座る寺田に駆け寄った。  夜深で暗い神社である。そこに茫と座る寺田は、痩身の死に神に見えた。 「それで牛子君、例のモノは落札できたかね?」 「腐っても陰陽師の裔です。裏の古物競売くらいなら参加できますよ」  私の家は幕末に没落したが、これでも陰陽師の名門である土御門の分家である。  それゆえに裏社会には通じていて、今回の古物競売にも家の名をだしたら参加できたのだ。 「西洋では競売をオークションと呼ぶが、古物競売はいわくつきの品が多いみたいだね」 「でも教授、一人だけ競り合った人がいたんですよ。 工場マスクをつけていたので顔は見えませんでしたが、髪が長かったので女の人だと思います」 「はあ、はあ」と寺田が、およそ聞いていないかのように相槌をうつ。暖簾に腕押し、寺田に女の話し、である。 「それで教授、この落札した笛はなんですか?」  私は競売で落札した品である、骨で造られた古めかしい笛を差しだした。 「それは大実業家である渋沢栄一翁が所望した品でな。 虎を落とすと書いて、“虎落笛(もがりぶえ)”と呼ばれるモノだよ。 または“殯(もがり)の笛”とも呼ばれておる」  寺田がそう言ったときに、首筋の産毛が逆立つような気配を感じた。  それで振り向いて見やると、そこに競売にいたマスクの女性が立っていた。 「それを……渡して……」  か細い声で女が言った。 「あなたは……誰ですか?」  私は問いかけると、女がまるで蜘蛛のような迅さで笛を奪った。 「あたしにはこれが必要なの。これで三年前に殺された、古本屋の奥様を蘇らせるのよ」 「え”っ、それってD坂の殺人事件!?」  私は驚いて声をあげた。
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