蜜柑の話

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「ほら、ハルくん。蜜柑が剥けたよ」ツルツルになった蜜柑。それをマサキチさんが持ち上げて見せた。「食べるかい?」僕に差し出す。 呆気に取られていたのだと思う。マスターに促されるまで僕は立ち竦んでいた。呆然自失。でもこれで終わりじゃなかった。「いただきます」僕は両手を揃えた。マサキチさんは僕の眼を覗いて笑う。 手渡されたとき、僕の背中は凍り付いた。重さ。両手に載せられた〈それ〉には重さがあった。質量。柔らかな質感が。冷たくも温かくもない、生の触感。それどころか――。 「に、匂いまでする!」ほとんど悲鳴。神経の細い人なら卒倒するかもしれない。でも、確かに僕は感じた。熟して人の手にぬるまった蜜柑の匂いを。甘ったるい橙の香り。嘘でしょ、これ。 僕は何もない手の掌を覗き込んだ。確かに蜜柑の匂いと重さがそこにある。なぜだか僕はコーキ君を思い出した。埃っぽい探偵事務所。重ねられた手と手。 「ちょっと、凄いだろ?」マスターが微笑んだ。なぜだか誇らしげな眼差し。まるで自分の手柄みたいだ。でも僕は頷いた。
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