第1章

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自身の前に跪き頭を垂れた存在が〝何〟なのか、まだ六歳の幼い少女である春陽はるひにはすぐには理解出来なかった。  確か、春陽は家の裏庭で一人遊んでいたはずだ。そこに突然強風が吹き荒れ、かと思うと体が浮かび上がった。そして、気がつくとどことも知れぬ山の中に春陽は立っていた。ここはどこなのだろう、と不安に思った所で現れたのは、今目の前で春陽に跪く存在。  綺麗だが時代の古い服を纏った彼(恐らく)は春陽よりもずっと大きな、父と同じくらい大きな体だった。だが、彼が人でないことを春陽はすぐに理解する。何せ、体は人で、けれど顔は烏のもの。いくら春陽が幼くとも、この形状を「人間だ」とは流石に呼べない。  彼は頭を垂れたまま、まだ若い声で懇願する。 「春陽殿、私は翠すい嵐らん。この山の主となった烏天狗でございます。突然の非礼、どうぞお許しいただきたい。ですが、あなたにどうしても頼みたいことがあるのです」  真剣な声が下から押し上げられてくる。含まれる難しい言葉の意味は分からなかったが、春陽は彼――翠嵐――が本気で願っている何かがあることを理解し彼の前に両膝をついた。 「翠嵐……お兄さん? お願いって何? 私に出来ることかな……? あの、これ以上下にならないで。お顔見えないの」  春陽が地面に膝をついたと見るや慌てて翠嵐は土下座の姿勢になろうとする。それを春陽は止め、肩を押して体を起こさせた。翠嵐は少しそわそわしているが、これ以上待たせては申し訳ないと判断して姿勢正しく正座する。 「申し訳ございません。あ、春陽殿、私のことはどうぞ翠嵐と。――はい、あなたにしか出来ません。まずご説明いたしますと、私は二百年前に生まれたばかりの若輩者でございます。大天狗様の跡を継ぐために生まれたと言われておりまして、先ごろその大役仰せつかった次第でございます。ですが、恥ずかしながらこの山全域をお守りするには私の妖力では足りません。そこで杜の賢者と呼ばれる我が一族の大婆様にお知恵を拝借しました。大婆様に曰く、この山における人側の守人の一族に大変な霊力を持って生まれた方がいると。その方――つまりあなたに……あの、春陽殿、大丈夫でしょうか?」  勢い込んで喋っていた翠嵐は眉を寄せる春陽に気がつき言葉を止める。表情に眠気は見えないが、必死に理解しようとしているのがよく分かるほど難しい顔をしてい
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