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その気配を察した相手方は、法信を気遣う。
取り乱したことを法信は、相手に詫びた。
今から伺います。
相手方は、そう述べると電話を切った。
法信が庭仕事をするための作務衣から、法衣に着替えを済ませ、境内に目をやると本堂前に一人の姿を見た。知らない人物ではあったが、直感的に何者であるか理解した。
電話の主であることを。
そして、本堂にて、法信は人物と会っていた。
会うのは初めてであった。
だが、知っていた。
もはや会うことは無いと思うを通り過ぎ、記憶の彼方に追いやられていた。それが現実になった。何の前触れもなく。
洗いざらしたジーンズに、黒いジャケットをラフに着こなした青年が座していた。
その右膝頭の右横に、紫の鞘袋がある。
鞘袋にこそ収められていたが、刃は内側に向けられている。
青年は左手から前方に出し床につけ、後から右手を出す。左右の人差し指、親指の爪先を合わせてできた三角形の隙間に鼻を近づけ、両肘を床に付けて礼を行った。
仰々しくも、決して付け焼き刃では無い青年の礼に、法信は遅れて座礼を行った。
青年は礼を行うと、右手を先に引いて膝に戻し、次いで左手を引いて膝に戻した。
青年の礼は、侍の座礼であった。
抜刀する時は、左手で鯉口を切ることで刀を抜くことができる。つまり刀を右に置くのは攻撃意思が無いという証明であり、刃を内側に向けるのは刀を抜きにくいようにするためである。
更に礼の際に、左手から先に出すことで鯉口を切る意思が無いことを悟らせる。戦国の世では、礼をすると油断をさせ、右手が先に付くと同時に、左手で小刀の鯉口を切り、襲いかかることは、よくあった話だ。
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