第1章 4節 獅子殿

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 その気配を察した相手方は、法信を気遣う。  取り乱したことを法信は、相手に詫びた。  今から伺います。  相手方は、そう述べると電話を切った。  法信が庭仕事をするための作務衣から、法衣に着替えを済ませ、境内に目をやると本堂前に一人の姿を見た。知らない人物ではあったが、直感的に何者であるか理解した。  電話の主であることを。  そして、本堂にて、法信は人物と会っていた。  会うのは初めてであった。  だが、知っていた。  もはや会うことは無いと思うを通り過ぎ、記憶の彼方に追いやられていた。それが現実になった。何の前触れもなく。  洗いざらしたジーンズに、黒いジャケットをラフに着こなした青年が座していた。  その右膝頭の右横に、紫の鞘袋がある。  鞘袋にこそ収められていたが、刃は内側に向けられている。  青年は左手から前方に出し床につけ、後から右手を出す。左右の人差し指、親指の爪先を合わせてできた三角形の隙間に鼻を近づけ、両肘を床に付けて礼を行った。  仰々しくも、決して付け焼き刃では無い青年の礼に、法信は遅れて座礼を行った。  青年は礼を行うと、右手を先に引いて膝に戻し、次いで左手を引いて膝に戻した。  青年の礼は、侍の座礼であった。  抜刀する時は、左手で鯉口を切ることで刀を抜くことができる。つまり刀を右に置くのは攻撃意思が無いという証明であり、刃を内側に向けるのは刀を抜きにくいようにするためである。  更に礼の際に、左手から先に出すことで鯉口を切る意思が無いことを悟らせる。戦国の世では、礼をすると油断をさせ、右手が先に付くと同時に、左手で小刀の鯉口を切り、襲いかかることは、よくあった話だ。
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