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ある日、わたしのまえにジローはあらわれた。
なんのまえぶれもなく、とつぜん。
はじまりは、えさをあげたこと。
雨が降っていた。つゆの季節だった。
夕方5時を知らせるチャイムが、雨に歪んで鳴り響いていた。
大学からの帰り道、スーパーで夕食の買い物をして、水色の傘を差しながらいつものように近道の松林を通った。
すると目の前にいきなり、大きくて、ふさふさな「なにか」が、ぬっとあらわれたのだ。
クマが出たと思った。
あまりにも驚きすぎて、買い物袋がベチャッと音を立てて足元に落ちた。
「なにか」は、ゆっくりと大きなからだをかがめ、袋についたどろを大きな手で拭うと「はい」とわたしに、差し出した。
わたしは「ありがとう」と、おそるおそる、それを受け取った。
言葉をしゃべる「なにか」が、なんなのか、見当もつかなかった。
ただ、「なにか」はあまりにもびしょぬれで、なぜか、ほっとくこともできなくて、「うちで雨宿りしませんか」と、つい、つれて帰ってしまった。
おなかもすいているみたいだったから、えさをあげた。
昨日の残りものの『肉じゃが』。
「おいしい、これ、だいすきです」
「あなた、名前は?」
「ジローです。よろしくです」
にぃっと、ジローは白い歯をみせたのだった。
それから、ジローは『まちぶせ』をおぼえた。
夕方5時の松林。
何の目印かわからない「No.3」と書かれたひょろりと細長い松の木の下で、ジローはわたしをまちぶせる。
しかたがない。と、
つれて帰ってしまった。
おなかもすかせているみたいだったから、また、えさをあげた。
新しく作った『肉じゃが』。
「おいしい、これ、だいすきです」
ジローは白い歯をみせた。
まちぶせは続いた。
はじめは、たま~に。
たま~にが、ときどきに。
ときどきは、『よく』に変わって。
『よく』が、いつもに。
ジローは、すっかりわたしになついてしまった。
ひょっこりあらわれてはエサをおねだりし、そのまま帰っていくときもあれば泊まることもあった。
まるで気まぐれな野良ネコみたい。
野良ネコならぬ、野良ジロー。
だからわたしは、ジローの首に青い合鍵をかけてあげたのだ。
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