プロローグ

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 押入れの中が暗いことを、彼は物心ついた時から知っていた。  雑多にものが詰め込まれた狭い空間は、隠れるには最適な場所だ。万一ふすまを開けられたとしても、その暗さのおかげで、すぐに見つかることはない。三つ下の妹にせがまれ、かくれんぼに興じることになった際、真っ先に押入れの戸を開いたのも、それが理由だ。  冬物の服の陰に身を潜めた彼は、妹のカウントが止まるのを待つ。彼女は人を見つけるのが苦手で、すぐ根を上げて泣き出すくせに、進んで鬼をやりたがった。今度こそは見つけてやる、という意思表示なのかもしれない。  いつも通り、泣き声が聞こえたら出てやろう。先週と同じことを思った、その矢先のことだった。  凄まじい衝撃が、家全体を震わせた。揺れは一瞬で収まったから、地震でないことは明白だ。幼い彼にもそれくらいは分かったが、のんびり考えている暇はなかった。  泣き声が――否、泣き叫ぶ声が聞こえたのだ。  お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。助けて。助けて。助けて。  ふすまを開けようと手をかけたが、開かなかった。先程の衝撃で押入れそのものが変形してしまったからだが、そんなことに思考をはべらせる余裕など、彼にはなかった。  いつも通り、泣き声が聞こえたら出てやろう。そう思ったばかりなのに。  気ばかり焦る彼の手は、ようやく少し、戸をこじ開けた。細い隙間から差し込む光が、幼い少年の右目を焼く。  同時に耳を貫く、硬いのか柔らかいのか分からない音。  次いで目の前に転がる、妹と同じ服を着た下半身。  彼は、暗闇に戻った。  耳を塞いだ。それでも容赦なく、肉と骨を噛み砕く音は鼓膜を震わせた。唇を結んだ。それでも抑えようもなく、揺れる歯の根はかちかちと音を立てた。懸命に悲鳴を飲み込み、五感をシャットアウトすることで、地獄のような時間をやり過ごした。  それが功を奏したのだろう。彼は二日後、集落唯一の生き残りとして救助された。  それから十年。  十七歳になった彼の手には、一振りの刀が握られている。
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