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そんな彩子の行動が手に取るようにわかって、可笑しくなる。
自分はあの立派な家に自分の痕跡を残しているだろうか?
そう思ってから、えみりはフッと笑みを浮かべた。
彩子のように完璧でない家事が、それを物語っているだろう。
皮肉なものだと、えみりは水道のレバーを上げた。
ジョウロに水がいっぱいになると、また観葉植物の方へと移動し、たっぷりと水をやる。
枯れてしまった鉢以外は嬉しそうにそれを飲み干しているように見えた。
水をやり終えジョウロを置くと、えみりは意を決したように枯れた鉢に手をかけた。
「さよなら……亮介さん」
そう口にしてみると、さっきまでのモヤモヤが晴れた気がする。
鉢をそのままゴミ袋に放り込みながら、これで区切りがついたのだと、えみりはふうーっと息を吐いた。
それから、顔を上に向けて腹に力を入れる。
いつもなら近所迷惑になるからと部屋ではしない発声練習をあえてしてみた。
久しぶりの自分の声。
そう、この声を取り戻したくて自分は亮介を諦めたのだ。
えみりはそう思い出して詰まる喉を押し開く。
響き渡るソプラノは、亮介が気に入ってくれていたもの。
えみりに残されたものは、もう歌しかない。
夢を応援してくれていた亮介のためにも、そしてその亮介を諦めるためにも、今できることは歌うことだけだ。
ありったけの思いを込めて一曲を歌い切ると、えみりはようやく自分を取り戻せた気がした。
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