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雨は嫌いだ。
客足が鈍るから。
ほらな、今日は一日中雨で、しかも夕方から雨足が強まるって言っていたから、売り上げがいくらか下がってやがる。
日付が変わる頃が雨量はピークなんだっけか。
それなら、ちょうど、今頃か。
時計へ視線を向けて、ひとつ溜め息が零れた。
フロアスタッフの最後のひとりが、もう片付けが終わったら上がろうかと思うと、一声かけるために、開けっ放しだったオーナー室の扉から、こっちへ顔を出していた。
「いや、平気だ。お疲れ」
タクシーを俺の分まで呼んだほうがいいかと毎回尋ねてくれる、真面目な新人に、いつもと同じように断る。
足音が遠のいていくのを聞きながら視線を今日の売り上げへと戻した。
別に経営困難なわけじゃない。うちの店はいたって順調。
ホストクラブ『アクア』、この辺の繁華街で連なっているホストクラブ、それとホステスのいるクラブの中でも人気のあるでかい店。
数年で潰れて、また別のクラブがオープンする中、俺が店を持って十年近く、ずっと続けられている程度には有名な店。
「……さて、と」
そろそろ、俺も帰ろう。
大雨になるんじゃ、スーツも靴もびしょ濡れになって面倒だ。
途中になっていた仕事関係のものをデスクに仕舞いジャケットを手に取った。
オーナー室を出て、フロアを通るともう誰もいない。
シーンと静まり返ったフロアにはテーブルごとに仕切りの役割も担っている水槽があり、その中に様々な熱帯魚が優雅に泳いでいる。
酸素ボンベから常に送られている空気が立てる水音だけが響いていて、青いLEDライトが店内の水槽だけを照らしていて、どこか幻想的だった。
営業中はさすがにこれだけじゃ暗すぎて、歩くのもままならないから、いくらか明かりを抑えた照明をつけている。
自分の店だ。
暗くてもどこに何が配置されてるかくらいちゃんと把握している。
真っ暗な深海のような空間を漂う色鮮やかな熱帯魚の中を潜り抜けるようにして、フロアを突っ切る。
従業員たちは店への出入りは裏口から。
オーナーである俺は裏口ではなく、フロアを通って、客を迎える正面玄関から出る。
これは俺のちょっとした楽しみだ。
誰もいなくなった自分の店、アクアと名づけたここを数歩だけ散歩のように歩く。
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