静優夜

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 ――なあ、誰のコト、考えてる?  いいや、分かってる。  訊くまでもない、こんな表情(かお)をして。    遠くを見やる視線。  懐かしげに、透明な――  母さんは「結婚しようと思ったただひとりの女性(にょしょう)」だと。  そう言った時の御院家の瞳の色。  あれと全く同じだから。  声にして訊ねることもできないまま、飲み下した喉の奥に走る痛み。  いつ頃から、自覚していた。  自分の嫉妬心。  母さんへと思いを馳せる、御院家のまなざし。  他の時には、絶対に見せることのないその色に、鈍痛を覚える胸の奥。  ああ、でも。  母さんは、俺を自分の子と思い、育ててくれていた。それは確かだ。  そのことに、受けた愛情に、俺は微塵の疑いも抱いていない。  「なさぬ仲」の遠慮など、俺たちの間にはなかった。  ごく時折、誰にも見せぬ不機嫌を、俺の前では、ふとちいさく漏らしてしまうような。  そんな「普通の母親」にありがちな間違いもあった。  「我が子」にみせる油断があった。  取り繕うことのない素顔を、俺にはごく自然に見せてくれていた。    俺だってそうだ。  母親をウザったく感じて戸惑い、感謝知らずにも、反抗期の親不孝を重ねていたに違いないのだ――  もし。もしその時まで。  俺が「その歳」になるまで。  ――母さんが生きていてくれていたなら。  きっと、そうだったに違いないんだ。  だから、母さんだけは別だ。  あの人だけは。  「今の俺」と「あの人」とを、比べることはできやしない。不可能だ。  御院家が母さんを思う気持ちと、俺を慈しんでくれる気持ちは、まったく違うものなんだから。  そうだよ。  俺にも、これはちゃんと「分かっている」。  「確かに分かっている」からこそ、この「妬心」は、俺の胸を引きちぎらない、掻きむしらない。  俺の胸の鼓動を止めない。  ただ、「痛む」だけ。  「その瞬間」に、ひと時、痛むだけなんだ。    まだ、この「痛み」はなくならない。なくすことができない。  けれど、そのことを、俺は責めはしない。   痛みがあるように、しておくしかない。  俺はそれほどまでに御院家を好きで、執着していて愛しくて。  だから、痛みは痛みのまま。  自分の中に置いておく。  己の心の弱さと醜さを、静かに視界の端に置いて。  重く痺れる痛みの感覚を、眺めやるようにして――
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