断腸のミアリ峠

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「イルボノルルハヌンサラムンオプスムニカ?トワジュセヨ!!」 それから3日の間も、私は東大門の近辺の通りで『日本語がわかる人はいませんか?助けてください!!』と韓国語で呼び掛けていました。 1万ウォンでもいいからお金をめぐんでください… トッポギでもいいから食べ物をめぐんでください… 私はとうとう、ホイト(こじき)になってしまったみたいだ… こななことになるのであれば、韓国へ来るのじゃなかったみたいだ… 所持金が2000ウォンになった最初の日は、めぐんでいただいた食べ物で飢えをしのぐことができたものの、3日目にはものごいをして行くことに限度が来ていたので、バイトを探すことにしました。 手当たり次第に飲食店をあたってみましたが、私を受け入れてくださる店はどこにもありませんでした。 受け入れを断られた私は、店主にあわれみを乞いましてゼニを得ていました。 『テグにいる友人の家に行くので、テグまで行く特急列車のキップ代だけでもめぐんでください!!』『スウォン(水原)にいるおじのところへ行くので、バス代をめぐんでください!!』… 私は、13軒の飲食店の店主に泣いてあわれみを乞うて合計45万ウォン(4万5000円くらい)をかせいでいました。 11月の第1木曜日あたりのことでありました。 その日の夕方、私はヨンドン大橋の近くにあります公園に行きました。 私は、ベンチに座ってぼんやりと夕暮れの空をながめながら考え事をしていました。 私は… 何でソウルへ来たんやろか… 大阪で暮らしている韓国人のブローカーの男にだまされたんとちゃうで… 失意の私は、再び東大門の通りでものごいをして食べ物とお金を求めることにしました。 時は、夜9時過ぎのことでありました。 私はこの時、通りかかった場所から700メートル先で溝端屋のダンナが大声で叫んでいたのを聞いたので、現場のギリギリのところまで近づいてみました。 現場には、溝端屋のダンナと別海町から来ました町の青年会のリーダーの男性がいましたが、ひどい大ゲンカに発展していました。
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