明滅1・アイベツリク

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死んだら無になる。物理的には何もなくなる。何も残らない。そのはずだ。私は寝間着に着替えることもなく、そのまま静かに目を閉じた。暗闇に覆われたまぶたの裏に、笑顔を浮かべている自分の顔が浮かんだ。何が残り、何が消えたというのだろう。 翌日に起床したら、正午を回っていた。昼のかったるい陽光がカーテンの隙間から漏れてきている。本来なら会社に出勤していなければならない日だ。とった休みは昨日で消化しつくしている。 スマートフォンを覘けば、予測通りの画面が表示された。会社からの着信履歴が三件あった。かけ直す気になれず、無視をして立ち上がった。電話を手から滑り落とすように、ベッドの上に放り投げる。 退職になっても、仕事はまた探したっていい。生前はあんなに苦しかったしがらみも、ひどい仕打ちも、今となっては不思議な沈殿物になっている。心中の深海に、音もなく沈んでいる。塵を掃除しきらなければ、前にすすむ気分にはなれなかった。クリアに、軽やかになりたい。 リビングのテレビ台に近付く。棚を開ければ、燈智のノートパソコンがまだ残っている。そのわきに、いくつかのUSBメモリーカードがあった。 ラベルを確認して、一つを手に取る。あった。燈智の交友関係が記録されているアドレス帳のバックアップだ。鍵がかけられていないことを知っていたが、私はこれを開くことはなかった。彼はわざと手の届く位置にメモリーカードを放置していた。私が彼女のことを、いつでも調べられるようにしていた。接点ができるように、仕向けていたのだと思う。 光一君を産んだ彼女とは誰か。めぼしならついている。葬儀場にやってきていた。「なぜ燈智を救ってくれなかったの」と私に話しかけた、ミディアムヘアの女性だ。あの時は疑いながらも、当人かどうか問い詰めなかった。終わったことを掘り返す気持ちにはならなかったから。 だが光一君の存在に疑問を抱き始めた今は違う。私と燈智が一緒にみた夢だ、という可能性に、私は心を躍らせていた。もしそうならば、私は今よりみじめな女ではなくなる。その方がいい。なぜ燈智は自死したのか。私が彼を責め続けたことを原因だと思ってきたけれど、本当の理由は何なのだろうか。
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