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 白い背景の中で曖昧になった距離感の果てに、見覚えのある桜の樹が見えた。  近づいていくとその隣に土蔵が陽炎のように現れ、亮太がたどり着く頃にははっきりとした形をとってそこに建っていた。  土蔵の扉がゆっくりと開き、春乃が姿を見せる。 「来ていただけると思っていましたわ、亮太さま」  モノクロの色彩の中、春乃の着物の鴇色と唇の紅がひと際目を引く。その笑顔を見ると亮太はほっとして近づいた。 「とっても、会いたかった。会ってまたきみを描きたくて堪らなかった」 「ええ、判っていますわ。さあ、お入りになって。今度はお茶を差し上げますから、ゆるりとしていってくださいな」  白い手に誘われるまま蔵に入っていく。持っていたスケッチブックを足元に落としたことにも気づかなかった。   亮太は、生まれて初めて、幸せで満ち足りた気分だった。  扉が閉まると土蔵は再び輪郭を不確かなものにして、山の景色に溶けこむようにして消えてしまった。後には白い平原が広がるばかり。人の気配はどこにもない。
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