第1章

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「……君は、帰らないのか」 不意にかけられた言葉に、夏目が顔を上げる。 「新年は一日から五日まで店は休むから……君はずっと長い休みもなかったし……帰省、したらどうだ?」 口篭もりながらの秋月の言葉に、いいえ、と夏目が首を振った。 「別に帰る場所もないし、待ってる人も居ませんから」 屈託なく言って、夏目が包丁を動かし続ける。 妹が居ると、前に彼が言っていた言葉を秋月は思い出していた。その人は君を待っては居ないのかと。喉元まで出かかった言葉を、飲み込む。 訊けばきっと、悲しい顔をするに違いないと思えて。 それに。 ―――それに、そんなことを聞いて。もしかして、やはり帰ると言われたら。……そのまま戻ってこなかったら。 秋月が、動揺した瞳を伏せる。 ……帰らせたくないという気持ちが、自分の中にあるのに気づいて。己の狭量さに唇を噛んだ。 秋月の表情に気付かず、作り終えた箸休めをタッパーに入れながら夏目が言葉を続けた。 「それに例の黒木商会の件も、一応は片付いたとはいえ、朽葉って男は結局行方をくらましたままだって言うし……秋月さんを一人にしておけませんよ」 「俺は大丈夫だ……葛見もいる」 夏目の顔が一瞬、強張る。 「でも、葛見さんは仕事だってあるし……いつも側に居られるわけじゃないでしょう?」 黒い瞳が、ひたりと秋月を見つめた。 「俺、じゃ……頼りにならないですか?葛見さんじゃないと、ダメ?」 「そん……君と葛見を比べるようなことは……」 秋月が言葉に詰まった。 そう、葛見とは比べられない。比べられるはずがない。 葛見は親友で、ずっと誰よりも側にいて。お互いが何を考えてどう感じているかさえ、我が事のようによく知っている。 夏目とは出会ってまだ一年も経っていない。自分は彼の過去も知らない。 ―――けれど。
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