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「それでは優子さん、本当によろしいのですね?」
そこには向かい合って座り、睨み合う二人の女がいた。一人は九条美咲。もう一人はどこか苛立ちを露にしている40代くらいの女性であった。
「勿論よ。早くして頂戴」
「......最後に一つだけ忠告しておきます。これはあなたの為ではなく、唯の為にした事です。それだけは絶対に忘れないで下さい」
九条の視線にさらなる力が込められた。優子と呼ばれる女は少し怖じ気付き、額に汗を滲ませる。
「わ、分かっているわ」
「では、この契約書にサインと印鑑を。その間にユイを連れて来ますので」
そして数分後、ドアを開く音と共にユイと九条が現れた。優子は待ってましたと言わんばかりに立ち上がった。ユイの手を握り、優子は満足そうな笑みを浮かべていた。
九条は、手にしている分厚い書類を釘を刺すように優子に渡す。
「説明書です。目を通しておいて下さい」
優子はそれを乱雑に鞄へ仕舞った。
「分かっているわ。さ、一緒に帰りましょう、ユイ」
「うん、お母さん」
そして二人は病室を出る患者の親子のように研究室を後にした。
「......気味が悪いな」
静まり返った研究室で、九条はそう吐き捨てた。
「でも、これでよかったんだよ」
九条の背後に立つ、ユイと同じ容姿でありながら、ピンクのTシャツで身を包む人
影、唯は答えた。
「唯、起きていたのか。まだ眠っていて構わないぞ?」
唯は九条の顔を覗き込む。
「もう何時間寝たと思ってるの? さすがに寝飽きちゃったよ」
「そうか、それならいいが。......だが、本当に良かったのか? あんな母親の為に自分の夢を圧し(おし)殺して残りの人生を生きるなど」
唯は先程まで優子が座っていた椅子に腰を掛け、両手で九条の顔を挟み込んだ。
「いいの。私には美咲、あなたがいるから。一生親友と暮らせて、親の夢を押し付けられる事もなく、好きな絵描きも出来るんだよ? 何も嫌な事なんて無いじゃん」
「だ、だが......」
唯の表情に真剣味が増す。
「いいったらいいの。それ以上私を惨めな物を見るような目で見るのは止めて。私はこれで幸せなんだから、それでいいじゃん」
「そう、か。そうだな。すまなかった、許してくれ」
九条美咲の目尻には、いつの間にか涙が滲んでいた。
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