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駅から徒歩五分程度で、目指す桜館が現れた。
緑色の赴きある外観に思わず「かわいい」と漏らすと、信司が横で微笑んだ。
下駄箱に靴を入れて木札を手に取る。中に踏み込むと番頭台を中心に、女湯と男湯ののれんがかかるロビーが広がっていた。
「表紙絵と一緒……!」
目を輝かせて、感動を堪能する。実在する場所や物をモデルに描かれた物語は、夢がリアルだ。虚実の境界を行き来するような感覚が、早苗は好きだった。
「早苗さん。貸しタオルとかありますけど、いりますか」
惚ける早苗に、信司の声が問う。
え? と振り返ると、入り口付近に設置された券売機を眺めながら、信司が何やら思案するように首を傾げていた。
「貸しタオル50円……。シャンプー、石けんも安いですね」
「持続経営を心配したくなる金額だわね」
信司と同じく激安メニューに見入って、早苗も頷く。
公衆浴場が物価統制により価格の上限を決められている事は知っていたが、入浴料だけでなくレンタル物品まで破格なのには驚いた。
結局、準備を整えていた二人は入浴券だけを購入し、番頭台に差し出した。
「それではまた後で」
にっこり笑って、信司が手にしていた早苗の荷物をこちらへ寄越した。
「ありがとう」
ずっしり重いその重量に苦笑して言うと、「いえ」と何でも無いことのように首を振って、信司は男湯の青いのれんをくぐって行った。
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