第1章

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 それは高校2年生のバレンタインデーだった。バスケ部の練習を終えて、シューズロッカーを開けると、綺麗にラッピングされた箱と共に「良かったら食べてください」という小さなメッセージカードが待っていた。 恋愛なんてものとは無縁で生きてきた俺は、そんな現実を信じられるわけもなく、一度扉を閉めた。そして再び開けてみる。やっぱりそれはそこにあって、俺は半ば混乱して、コソコソと隠しながらそれを持ち帰った。 しかし、本当に信じられない現実はここからだった。ドキドキしながら可愛いラッピングをほどくと、中からはタッパーに入れられた肉じゃがが出てきた。その時の時間の止まり方といったら。強い衝撃というより、新種の昆虫でも発見したかのように、「なんだこれは?」とまじまじと見つめてしまった。 1分ほどで正気に戻った俺は、とりあえずそれを食べてみることにした。特に、味は悪くない。いや、むしろ美味い。柔らかく舌で溶ける肉。じゃがいもはふわっと口の中で割れ、空腹を満たしていく。人参には甘いつゆが染み込み、つるんと滑る白滝は最高の喉越しだ。 しかし…何か、普通の肉じゃがとは違う味がする。何を使ってるんだろう。これがまたいい風味を醸し出しているのだが、思い出せそうで思い出せない味。 そんなことより、なぜ肉じゃがなんだろう。別に俺は甘いものが嫌いではない。そもそも、甘いものが嫌いな人にすら甘さ控え目とか言って結局チョコレートを渡すことが大半だろうに、なぜ俺に渡すバレンタインデーの贈り物に肉じゃがを採用したのか。 最後の一口を飲み込んだとき、ある可能性に気がついた。それは、俺に渡すつもりではなかったという可能性だ。やばいんじゃないか、と思いカードを見ると、差出人の名前はなかった。箱の中にも外にも、ラッピングの包装紙にもなく、さらに疑問符は増えていく。書き忘れか?一体、誰が。 しかし、これがチョコレートなら甘酸っぱい青春ストーリーが始まりそうだが、こんな多感な時期にバレンタインデーに差出人不明の肉じゃがをもらいました、なんて格好の笑いの的である。誰にも言えずに、俺は高校3年生になった。
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